『世界遺産で神話を舞う』
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1月3日、BS-TBSで放映された『世界遺産で神話を舞う』(21:00~)をご覧になられた方はおられるでしょうか。人間国宝で能楽師の梅若玄祥が、古代ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を題材に創作した新作能「冥府行~NEKYIA(ネキア)」をギリシャ・エピダウロスの古代劇場で上演した時の映像でした。
私と家内は、20年ほど前にアテネから車で2時間ほどのところにあるエピダウロスへ行ったことがあります。二人だけの貧乏ギリシャ旅行でしたので、途中ジプシーの子供たちによる強奪事件にあったりして、やっとたどり着いた思い出の地です。エピダウロスの円形劇場は、2400年前に完成したもので、そのスケールの大きさには圧倒されます。今でこそ小さな町のはずれにありますが、その当時は相当な賑わいがあったことが偲ばれます。
取り上げるのは叙事詩「オデュッセイア」はホメーロスの作品と言われていますが、今回はその第11章の「ネキア」を題材にしたもので、オデュッセウスが、魔女キルケーの助言に従い、冥府にいるという予言者ティレシアスに会いに行くという物語です。
ギリシャ人演出家のミハイル・マルマリノスと新作能「冥府行」を編纂する能脚本家・笠井賢一の息詰まるようなやり取りが凄かったですが、幽玄な能の世界とギリシャの古代演劇を見事に融合させた梅若玄祥の舞も息をのむほどに素晴らしいものでした。なお、入場者は約10,000人だったそうです。
ギリシャにおける叙事詩というのは、紀元前8世紀頃から各地を定期的に廻る吟遊詩人によってもたらされたようです。吟遊詩人は他の地域の身近な出来事なども織り交ぜて吟唱していたようですから、情報伝達者のような役割もしていたのでしょう。それがホメーロスなどに伝承されたものと思われます。ホメーロスが実在していたかどうかは定かでないようですが。
私と家内は、20年ほど前にアテネから車で2時間ほどのところにあるエピダウロスへ行ったことがあります。二人だけの貧乏ギリシャ旅行でしたので、途中ジプシーの子供たちによる強奪事件にあったりして、やっとたどり着いた思い出の地です。エピダウロスの円形劇場は、2400年前に完成したもので、そのスケールの大きさには圧倒されます。今でこそ小さな町のはずれにありますが、その当時は相当な賑わいがあったことが偲ばれます。
取り上げるのは叙事詩「オデュッセイア」はホメーロスの作品と言われていますが、今回はその第11章の「ネキア」を題材にしたもので、オデュッセウスが、魔女キルケーの助言に従い、冥府にいるという予言者ティレシアスに会いに行くという物語です。
ギリシャ人演出家のミハイル・マルマリノスと新作能「冥府行」を編纂する能脚本家・笠井賢一の息詰まるようなやり取りが凄かったですが、幽玄な能の世界とギリシャの古代演劇を見事に融合させた梅若玄祥の舞も息をのむほどに素晴らしいものでした。なお、入場者は約10,000人だったそうです。
ギリシャにおける叙事詩というのは、紀元前8世紀頃から各地を定期的に廻る吟遊詩人によってもたらされたようです。吟遊詩人は他の地域の身近な出来事なども織り交ぜて吟唱していたようですから、情報伝達者のような役割もしていたのでしょう。それがホメーロスなどに伝承されたものと思われます。ホメーロスが実在していたかどうかは定かでないようですが。
コメント
コメント一覧 (4)
拙いブログをご覧くださり、コメントをいただいたことを嬉しく存じます。有難うございます。文面から日本の伝統芸能や演劇全般がお好きな方のような印象を抱いております。
私は能楽のことは皆目分からないのですが、以前に行ったことのあるエピダウロスの巨大な円形劇場で、日本の能楽がどのように演じられて、そしてギリシャの人々にそれがどのように受け入れられるのかといった点に興味があって番組を観ていました。
いわゆる民主主義の起源とされる民主制は紀元前4世紀頃、ちょうど今回の舞台になったエピダウロスが出来た頃に古代ギリシャでは最盛期を迎えるのですが、都市国家の住民である市民はとても議論が好きだったようです。今でもギリシャの街角では一杯のコーヒーで延々とおしゃべりをする人々を沢山目にすることが出来ます。民主主義の根幹かどうかわかりませんが、あの方たちは2000年も前から自分の考えを議論で相手に納得させなければと考えているのですね。かたや日本の伝統芸能は阿吽の呼吸みたいなところが重要なのでしょう。そんな土壌の違いから笠井さんは少し譲歩し過ぎだったかなと思っています。時間的な制約もありましたしね。
今回の舞台を土台に、より一層の凄みと洗練さを増した"能・古代ギリシャ劇"を観たいと思います。
キョンさん、今後とも宜しくお願いいたします。
拙いブログですが、ご覧くださり、そしてコメントをいただいたことを嬉しく存じます。
私も能のことはよく分からないのですが、能と古代ギリシャの叙事詩とが融合した面白い舞台が観られる程度の知識で番組を観ていました。しかも訪れたことがあるエピダウロスの古代円形劇場での開催ということで、どのような雰囲気の舞台になるのだろうという別の意味での関心もありました。
仰るように今回の舞台は能というより"能オペラ"というか"能ミュージカル"のようなエンターテイメント性の強い舞台だったような印象を受けました。個人的には、"コクーン歌舞伎"など本来の歌舞伎を逸脱したエンターテイメント性の強い芝居が好きですので、今回の舞台もとても面白かったのですが、本来の能楽が好きな方々にはどうだったのでしょう。
私も、このドキュメンタリー番組のもう一つの見せ場は、笠井さんとマルマリノスさんの遣り取りなのかなと思って観ていました。ある部分を外したり、変えたりしたらギリシャ神話やギリシャ劇として成り立たなくなってしまうという主張はもっともだと思いますし、かたや日本古来の芸術・能楽として余計なものをそぎ落としていくという基本的な考え方も理解できます。
上演まで時間的に制約されていた点から見て、両者が納得できるところに落ち着いたのか、その点がちょっと疑問でもあります。終演後の笠井さんとマルマリノスさんの舞台裏での様子を見ても、お互いに消化不良のような雰囲気が気掛かりでした。
演出面で私ならこうしたいと思った場面があります。白装束のコロスが沢山出てきて状況を謡って説明したり、亡霊として彷徨ったりしていたのですが、あれば舞台の下あるい橋掛リで演じても良かったのではと思っています。そうすれば能舞台のように少しすっきりしたのではと思っているのですが、いかがでしょう。
jinさん、今後とも宜しくお願いいたします。
能楽の脚本家にとってはサイドストーリーだと思われた部分(宿敵との再会)が、ギリシャ人にとってはぜったい外せない名場面だったということがわかっていく過程は、すごい感動的でした。運命的な対立(悲劇)と和解への希求というのがあるんですかね。
演出家と能楽師・脚本家があそこまで本音でやりあったからこそたどり着いた融合だと思いました。
わたしは能についての知識は皆無ですが、
あの所作や音色から深い精神性みたいなものを感じていました。
が、あの番組を観て、そんなのはぶっ飛んでしまった。
言葉は悪いけど、能なんて観客を喜ばせるための河原演劇と同じ。
エンターテインメントと割り切れば、
観客を別世界へ導いてくれる舞台であることは否定できません。
それ以上でもそれ以下でもなし。
ただし、わたしは「ネキア」を読んでいませんが、
笠井さんは古代ギリシャ人の心を掴んでいたのでしょうか?
能は余計なものを削いでいく芸術とか説明していましたが、
ネキアの肝まで省略したら、そりゃーギリシャ人は怒りますわな。
それにしても、あの過程をよくぞ放映したものです。
わたしにはそのほうが驚きでした。