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カテゴリ:函館、七飯、道南のこと

海の景色も少し春めいて

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湯の川方面へ行く用事があり、途中にある「六花亭・漁火通り店」へ立ち寄ってみました。
雛祭りのお菓子が店頭に並ぶようになってきましたし、店内の雰囲気も春めいてきました。五稜郭店はウィンドウ越しに五稜郭公園や桜並木を眺めることが出来ますが、こちらは啄木が愛でた大森浜から津軽海峡を望むことができます。
素材を活かしたお菓子はどれも美味しく、お店の雰囲気もいいですし、階上は喫茶室になっていますので、海を眺めながら寛ぐのにもおすすめです。車以外のアクセスが少し不便ですが、近くにバス停もありますので、ぜひお越しになってみてください。
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町の電器屋さん

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来年の夏に向けてエアコンをつけてもらいました。一台は寝室の古い機器の更新。そしてもう一台はリビングに新設しました。
家電は量販店で購入する方が多いと思いますが、今回は大沼地区にあって前から気になっていたワタナベ電器さんにお願いすることにしました。電話をしますと社長さん自らがおいでになって、機種や性能などいろいろと相談に乗ってくださいました。
社長さんは、谷村志穂さんの小説「大沼ワルツ」のモデルの親族で、私がカヤックでお世話になっていた「イクサンダー大沼」のヒゲさんとも深い関係にあります。大沼駅前のセレクトショップ「foufou」の店主さんもゆかりがあるそうです。
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2台のエアコン設置と専用電源工事を3人で一日がかりでやってくださいました。いずれの工事も手際よく丁寧で、量販店とは一味違う作業に感動して見ていました。こういうところが地元に密着した業者さんのいいところなのでしょうね。
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後日、洗濯機と掃除機も古くなってきましたのでお願いしました。パナソニックの専門店なのですが、妻がシャープの洗濯機にこだわりがあるものですから、お訊きしましたら他メーカーでも大丈夫とのこと。それではと、シャープの洗濯機とパナソニックの掃除機を納品していただきました。
そのうちのパナソニックの掃除機。 紙パックを愛用していますので、業界最軽量というMC-JP860Kという機種を選んでみました。なんと本体が2kgとすごく軽いです。クリーンセンサーなど先端技術も満載されていて、使っていて楽しいです。歳をとると何でも軽くてラクチンなのがいいですね。
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大沼地区はもちろんのこと、七飯町、北斗市、森町、鹿部町、そして函館市内も電話一本で迅速に対応してくれます。電気工事、家電販売・設置、ソーラー発電、リフォームと幅広く手掛けています。「なんでも気軽に声をかけてください」と仰っていました。スタッフさんの腕は確かですし、とてもフレンドリーな方ばかりです。
身近な町の電器屋さんはいいですし、ぜひお薦めしたいと思います。

初秋の大沼湖畔

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この連休は快晴に恵まれて行楽日和でした。どこもすごい人出のようですし、国道も渋滞していたようです。私たちも真っ青な秋空に誘われて大沼湖畔の周遊道路を歩いてきました。PA080001
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キャンプ場はハイシーズンに匹敵するくらいのテントが張られていました。朝晩は肌寒いですが、日中は風もなく快適なキャンピング・ライフを楽しめているようです。
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道路に突然現れたキタキツネ。ちょっと痩せ気味で、餌が豊富にあるのか心配になります。
近年の知床はカラフトマスの遡上が少なく、ヒグマの栄養状態が芳しくないようです。餌となる春の若葉の繁茂も良くないようですが、いずれも異常気象との関連が指摘されています。餌が少ないことにより人里へ出てくる個体が増えていますが、異常気象のもととなる私たちのライフスタイルに起因しているのでしょうね。
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まだ紅葉には早いですが、今月末にはきれいに色づくことでしょう。道端の草花も秋の装いに彩られています。そうそう、雪虫も飛んでいましたよ。
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「沼の家」の大沼だんご

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プールの帰りに大沼公園の「沼の家」へ寄って、お団子を買ってきました。今日は、餡子と醤油のコンビをチョイスです。超有名な人気店ですから、食べたことのある方は大勢おられることと思います。
私が子供のころは駅のホーム 売りもしていました。容器は現在はプラスチック製ですが、当時は木製の折り箱に詰められて売られていました。包み紙のデザインは昔と一緒です。

一般的に繁盛してくると、他所に出店したりチェーン化したりするものですが、「沼の家」に関しては、私の知る限りお店はここだけと思います。函館空港や市内の一部ショッピングモールで買えたという情報もありますが、基本的には大沼へ行かないと買えないというのが嬉しいです。

各地に美味しいお団子がありますが、この「沼の家」の大沼だんごもベストテンに入るくらいに美味しいですから、お越しの際にはぜひご賞味ください。
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『佐々木孝の木版画』 PEEPS GALLERY

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蔦屋書店のローカルマガジン「peeps hakodate vol.106」の今月号の特集は、「食卓の記憶」です。
そのなかのPEEPS GALLERYでは、「1950年代、下海岸の食と暮らし」と題する佐々木孝さんの版画作品とそれにまつわる寄稿および直筆の詩文が掲載されています。
佐々木孝さんは、現在は函館市と合併になった旧戸井村字原木のご出身で、15歳までこの地でお暮しになっていました。大学時代に恩師の影響で始めた木版画ですが、大学卒業後の教員生活の間もお続けになり、そして神奈川県で小学校長を終えられたあとは、今までにもまして本格的な作家活動へお入りになったようです。
私は2013年に「いしい画廊」で開催された個展へうかがった際に、素晴らしい版画作品の数々に感銘を受けた思い出があります。
PEEPS GALLERYの中の作品は、「母"あっちゃ"」(2010年)、「いわし」(2011年)、「かぢか」(2012年)、「がんぜを捕る」(2010年)が、詩文と共に掲載されています。
美しい版画作品を拝見し、添えられた詩文もよませていただきました。場所こそ違え、ほぼ同年代を過ごしてきましたので、懐かしい少年時代の思い出が昨日のことのように目に浮かんできます。
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私の子供時代の食卓をあえて挙げるとすれば、「カレイの煮つけ」かなと思います。
冷蔵庫などと言うものはありませんでしたから、母は毎日夕刻になると下駄をひっかけて中島廉売へ買い出しに行くのがならいでした。父が好きだったせいか、ほぼ毎日のようにカレイを買ってきたのを憶えています。函館ですから、まさに海からあがったばかりの活きの良いマガレイやイシガレイ(いしもち)、マコガレイなどが店頭で跳ねている光景を見ながらの楽しい買い物でした。
母は活きの良い大ぶりのカレイを醤油のみで味付けしていました。みりんやお酒、砂糖などは一切加えていませんでした。冬は食べ残しをそのまま戸棚に入れておくと、翌朝には見事な天然「煮こごり」が出来ていて、これがまた最高に美味しい食べ物でした。スケトウダラの生の卵巣(助子)と一緒にカレイの卵巣も大皿に盛られて普通に売っていましたので、これの煮つけ(子和え)も美味しかったです。糸こんにゃくやシラタキ、ニンジンなどを加えた子和えも忘れられません。

妻は札幌出身ですが、当時は新鮮な魚は得られず、カレイというと行商の小母さんが持ってきた焼きカレイが主流だったそうです。鮮度が保てないから焼いてから売ってたのでしょうが、これを甘辛く煮たと言います。これはこれで美味しかったと言いますが、函館人は絶対にこんなものは食べなかったと思いますね。60年以上も前の話ですから、今では笑い話のようです。
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 著作権があり、あまり詳しくは書けませんので、ぜひ「peeps hakodate」をお手にとってお読みになってみてください。首都圏では、代官山・蔦屋書店、がじゅまるの樹(八王子市)、湘南T-SITE(藤沢市辻堂元町)などに置いてあります。Take freeです。

琉球古典舞踊と琉球音楽

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午後からは沖縄県立芸術大学大学院に在学中の下地彩香さんの三線と歌声、札幌在住の宮越タマ子さんによる「琉球古典音楽と琉球舞踊」のステージです。

あまり聞きなれない琉球古典音楽ですが、琉球王朝時代に宮廷音楽として演奏されていた音楽なのだそうです。「琉楽」とも呼ばれ、古くから伝承されている叙情短詩形の歌謡である「琉歌」を三線にのせてうたうのが基本といわれています。士族の作法や教養として広く奨励され、また薩摩藩や江戸幕府に対する接遇として披露されていたようです。

沖縄の踊りというと、カチャーシーのような賑やかな歌と踊りと思っていましたが、琉球古典音楽や舞踊はしっとりと厳かな感じですね。
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映画『スケッチ・オブ・ミャーク』

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「ハイサイ・カミヤクモ」のイベントの一つが、映画『スケッチ・オブ・ミャーク』でした。ロカルノ国際映画祭で「審査員スペシャル・メンション」を受賞した作品です。

沖縄県宮古島に伝わる古謡と、神聖な神歌に焦点をあてたドキュメンタリー作品です。音楽家の久保田麻琴さんが、御嶽(うたき)でとり行われる神事に使用される歌と出会ったことが、映画を製作するきっかけになったと言います。監督は函館在住の大西功一さんです。
いにしえからの神への崇拝、宮古の深い自然と人々の営み、そして飾り気のない歌が混然一体となってスクリーンに蘇ります。じんわりと熱いものがこみ上げるほどに魂が揺さぶられる感動作でした。

上映後には、大西功一さんのトーク会がありました。
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カミヤクモ321

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スカッと秋晴れの日曜日。
車で1時間半ほどのところにある八雲町の「カミヤクモ321」へ行ってきました。ユーラップ川に合流するトワルベツ川沿いにありますが、以前に釣りや野鳥観察でよく出かけていた地域ですので、迷うことなく辿り着くことが出来ました。
「ハイサイ・カミヤクモ」と題する沖縄に関連するミニ・イベントがあり、映画「スケッチ・オブ・ミャーク」の上映、紅型染のワークショップ、琉球古典舞踊と琉球音楽、沖縄民謡など盛りだくさんのプログラムが用意されていました。
お昼は、七飯町大中山に4月に開店した「おきなわ家 東風平」のランチメニューの出張サービスです。お店の前を通るときに覗くと、いつも車がいっぱいで、入店を躊躇っていただけに、食べることが出来て嬉しかったです。
感動的な映画と華麗な琉球古典舞踊を見て、美味しい沖縄料理を食べてと楽しい一日でした。
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元町カトリック教会から旧イギリス領事館へ

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先日、旧函館区公会堂を見学した後に、元町カトリック教会から旧イギリス領事館へとまわってみました。
まず定番の八幡坂から見た摩周丸です。
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少し歩くと、遺愛幼稚園の薄いピンク色の建物が見えてきます。メソジスト系のミッションスクールに併設された幼稚園で、幾多の火災によって焼失しており、現在の建物は1913年(大正2年)に建設されたものです。
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観光客に人気の元町カトリック教会です。
この教会も二度の火災に見舞われており、現在の建物は1924年(大正13年)に再建されたものです。見どころは聖堂内の祭壇で、火災のお見舞いとしてローマ法王ベネディクト15世から贈られたものといわれています。
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そろそろ庭園内のバラが咲きそうな旧イギリス領事館です。
こちらも数回の火災に遭って、現在の建物は1913年(大正2年)に竣工したものです。
1階はカフェになっており、美味しい紅茶とケーキで優雅なひと時を過ごすことが出来ます。
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旧函館区公会堂

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「アンジェリックヴォヤージュ」へ行ったついでに昨年春に大規模な改修が完了した旧函館区公会堂へ寄ってきました。
明治43年(1910年)に建てられた我が国を代表的する洋風建築物で、昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定されています。当時の市民の集会場、商業会議所の事務所として建てられましたが、建築費用のほとんどを豪商・相馬哲平が寄附したそうです。

私が小学生の頃に行事などで何度か公会堂へ入ったことがあったのですが、外壁などがボロボロで哀れな建物といった感じでした。以後、何度か修理をしたようですが、とてもきれいになって驚いてしまいました。函館にお越しになった際には、ぜひお立ち寄りになってみてください。
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厚沢部町レクの森

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風が強いものの良い天気ですので、厚沢部町のレクの森(土橋自然観察教育林)へ行ってきました。ここは、厚沢部町の南西部に位置する面積約90ヘクタールの町有林で、自生北限となるヒノキアスナロ(ヒバ)や、自生南限となるトドマツなど約560種もの植物を見ることができます。

資料によりますと、歴史的には1678年(延宝6年)に松前藩直轄のヒバ山である「御山七山(おやまななさん)」の一つ「羽板内(畑内)山」として開発が始まったそうです。その後、過剰な伐採や山火事などに見舞われたようですが、1770年(明和7年)には疲弊した林を回復させるために「留山」という制が出され、ヒバなどの伐採は制限されました。さらに、時代は下って1957年(昭和32年)に諸種の試験を目的として、被害木や枯損木除去以外の伐採を禁止する「試験地」に指定され、手厚い自然保護管理のもと現在にいたっているようです。同年、ヒノキアスナロ・トドマツ母樹林にも指定されています。

手入れの行き届いた自然観察林で、木道や木橋、案内板などもよく整備されています。熊の生息密度の高い地区に含まれ、昨年は殆どのコースが閉鎖されていましたが、今年はまだ掘り返しなどの熊の情報はないようです。ただ、怖いですので、熊除け鈴、撃退スプレーなどは携帯するようにしていました。樹齢数百年を経過していると思われるヒバ(ヒバ爺)やブナ(ブナ婆)などの巨木は必見です。
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ポタリング日和

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西寄りの風の強い一日でしたが、めげずに隣町の旧大野町にある八郎沼までペダルを漕いできました。
きれいに整備された公園で、桜の時季にはおおぜいの花見客で賑わうようです。
北斗市の資料によりますと、弘化3年(1846年)伊予国(現愛媛県)生まれの山田致人という人が、明治のはじめに近くで酪農を始めたことがこの沼の始まりだそうです。5頭の牛に水を飲ませるために池を掘ったのが発端で、その後、中村長八郎という人が引き継いで、養鯉場や水田かんがい用のために規模を大きくしたようです。彼の名前にちなんで「八郎沼」と名付けられたとあります。
画材を持った小学生の一行が歩いていたり、静かにヘラブナ釣りに興じるおじさんたちがいたりと、のどかな光景が広がっていました。
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森町の桜見物

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熱気球体験のあと、近くの森町で桜を見てきました。
途中の国道の交通量が多く、また道の駅「なないろななえ」の広い駐車場を埋め尽くす車中泊の車の多さに驚きつつ、それらを横目に車を走らせました。緊急事態の反動か、どこも人出が凄いです。

ソメイヨシノは殆ど終わりかけていましたが、大島桜やここの固有種の堀井緋桜、駒見桜はちょうど見頃を迎えていました。種類によっては、まだ蕾の状態の桜も多く、これから下旬にかけて桜を楽しめそうです。
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満開の桜の函館公園

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函館山の帰りに麓にある函館公園まで足を伸ばしてみました。
ちょうど桜が満開で、最高のお花見日和になりました。昔は家族総出で出かけたり、職場の仲間とジンギスカンを囲んで夜桜を楽しんだりしていましたが、今は静かにお花見を楽しむムードに変わってしまいました。出店も並んでいましたが、柵で囲ったブースに検温と消毒をしてから入って、お行儀よく並んで購入するようなシステムになっていました。何となく欲求不満の溜まるお花見かも知れませんが、静かですし焼き肉の臭いがしなくて、個人的にはいいなぁと思っています。
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箱館戦争官軍上陸の地

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江差の隣町に乙部という小さな港町があります。この町に美味しい乾物を売る釧之助というお店がありますので、ここまで来ると必ず立ち寄るようにしています。このお店からほど近いところに「箱館戦争官軍上陸の地」という記念碑がひっそりとあります。

明治2年4月9日未明、官軍(新政府軍)の「甲鉄」「春日」など8隻の軍艦が1500人の兵を乗せて、乙部の沖にひそかに到着しました。にしん漁が最盛期を迎えていましたので、前浜は黒船の襲来を思わせる光景となったそうです。静かな漁村は天地をひっくり返すほどの驚きだったことでしょう。しかし、村民は榎本軍(旧幕府軍)の情報を官軍に伝えるなど協力的だったようで、このことがその後の戦況に重要な役割を果したそうです。
官軍は上陸後すぐに参謀本陣を乙部に設置し、翌日には江差を奪還。さらに松前道や鶉山道(渡島中山峠)など4方向に分かれて箱館へ進軍し、ついに5月18日に五稜郭を陥落させ箱館戦争は終結しました。

さて、記念碑に設置されているモニュメントの人物は「山田市之允(顕義)」です。
資料によりますと、「東洋のナポレオン、日本大学の学祖」と呼ばれる人物らしいです。彼は官軍で唯一陸軍と海軍両方の参謀を兼ね、乙部上陸後は参謀本陣全般の指揮を執って、箱館戦争を全面的な勝利へと導いたそうです。官軍の乙部上陸が起点となって蝦夷地が北海道となり、本格的な開拓が始まることになった記念すべき地であります。
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一本木関門

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昨日、妻がボランティアをしている事務所まで付き合って欲しいというので、函館市若松町にある総合福祉センターまで行ってきました。
事務所での用事はすぐ済みましたので、庭内にある「一本木関門」跡にちょっと寄ってきました。ご存知のように「一本木関門」は、箱館戦争末期に土方歳三が銃弾に倒れた場所といわれています。
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総合福祉センターの4階から見ますと庭内はこんな感じになっています。もともとは小学校の跡地ですので、「一本木関門」周辺は小さな公園のようになっています。また、総合福祉センター内にも軽食と喫茶コーナーがありますので、こちらでも休むことができます。
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全国からの土方歳三ファンは年中ここを訪れており、花を手向ける人も絶えることはないようです。毎夏、五稜郭公園で開催される野外劇のオーディションでも土方歳三役が一番の人気らしいです。
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こちらが「一本木関門」です。ここを境にして、函館山側が箱館村、五稜郭側が亀田村となっていました。今のJR函館駅のすぐ近くですが、ここより五稜郭側は人家もまばらな農村風景が広がっていたのかも知れません。
一説によると大きな柏の木があったので、「一本木」と命名されたとありますが、先日読んだ谷津矢車さんの小説『北斗の邦へ翔べ』では、ハルニレ(春楡)となっていました。ハルニレは沢沿いの湿地を好む樹で、北海道大学構内にも大きな樹が沢山あります。「エルム」とも呼ばれるロマンチックな樹ですので、個人的には歳三の最期を見とどけた一本の樹もハルニレであって欲しいと思っています。
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1月3日夜にNHK総合にて放映された正月時代劇『幕末相棒伝』のラスト、「一本木関門」でのシーンを引用ということで掲載させていただきます。テレビ画面を撮影したものです。土方歳三役は向井理さん、坂本龍馬役は永山瑛太さんで、共にすごく格好よかったですね。
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北の海に儚くも散った夢

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「いにしえ街道」近くにある開陽丸記念館へも行ってきました。
いつでも来れるという思いが強く、船の中に足を踏み入れるのは今回が初めてです。船は箱館戦争の最中に沈んでいますので復元船ですが、想像以上に見ごたえのある船内そして展示でした。
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排水量は2,590トン、最大長は72.80メートル、そして最大幅は13.04メートルといいますから、当時としてはとてつもなく大きな船だったようです。乗員は350~500人も乗ることが出来たそうです。オランダの造船所で造られただけあって、ドアノブなどの装飾品などはとても凝っていて、軍艦といってもお洒落な船だったようです。
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榎本武揚や土方歳三、多くの名も知れぬ同志たちは、船内でどのような生活を送っていたのでしょうね。戊辰戦争の真っただ中ですし、理想郷への期待と不安を抱いての旅立ちに思いを馳せてしまいます。調理人や仕立屋などいろいろな技能を持った職人も乗船していたようです。
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慶応4年(1868)11月、夜半からの暴風雪にあって座礁し、なすすべもなく10日後に海の藻屑と消えたそうです。
資料によりますと、品川を出航する際から不具合箇所があったようで、途中の仙台でも修理をしたようです。船を引き揚げての修理は不可能な状況で、そのまま蝦夷地に向かうも故障はたびたび起きていたようです。ことに生命線ともいえる操舵装置に故障があったようで、江差での座礁もそれが原因ともいわれています。
ただ、江差にお越しになった方はお分かりと思うのですが、江差港の水深はそれほど深くはなく、海底の岩盤もほぼ平らであることにお気づきになると思います。開陽丸は錨が海底にうまく引っかからずに強風にあおられて座礁したようですが、なぜ水先案内人がこのような地理条件も分からずに係留したのでしょうね。

先日読んだ谷津矢車さんの小説『北斗の邦へ翔べ』では、この水先案内人が新政府軍に通じる間者という設定です。わざと、係留するには不向きな港内に停泊させたということらしいです。あくまでも小説ですから、本当のところは分かりませんが、なかなか面白い仮説と思って読んでいました。戦乱の世では、間者や間諜は普通ですから、個人的には「あり」かなと思っています。

「つわものどもが夢の跡」ではありませんが、開陽丸の甲板に上がってみますと「北の海に儚くも散った夢」といった感じがします。
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お雛様のいない「いにしえ街道」

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昨日、この時季になると町中がお雛様でいっぱいになる江差の「いにしえ街道」へ行ってきました。
やはり、ここもコロナの影響が大きく、町を歩く人は少なく、お店もほとんどがシャッターを下ろしているような状況でした。当然なのでしょうが、お雛様を飾っているお店やお家は皆無でした。
お雛様を眺めながらの散策のできる日が早く来るといいですね。
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七飯の大トチノキ

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いつも函館新道の側道を散歩していますが、コースの途中に見えるのが「大トチノキ」の巨木です。側道からは見下ろす感じですが、今日は農道に入って近くに寄ってみました。

この「大トチノキ」。幹回りは約8.6m、樹高約25m、推定樹齢400年以上と堂々とした樹です。このバイパスと側道が建設されるに際して、ルート上にあるとして切られる運命にありました。これを知った住民が、「七飯のトチノキを守る会」を立ち上げ関係機関に働きかけた結果、これらの巨木は残ることになりました。代表として音頭をとったのはカナダ人で英語教師をしていたピーター・ハウレットさんで、私も名ばかりの会員として参加していました。
周囲には水が湧き出ていて動植物の生育にとって恰好の環境にあり、トチノキの樹の他にクリ、カツラ、キタコブシなど多くの樹種の大木があります。
根元は空洞になっていて大人でもくぐり抜けることが出来ます。400歳といってもまだまだ元気そうですので、これからもこの地で頑張ってくれるものと思います。

春夏秋冬、「大トチノキ」と周囲の様子を定期的にお伝えしたいと思います。
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錦に彩られて

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昨日の日曜日。衆議院選挙の投票を終えてから、妻と大沼公園の周遊道路を歩いてきました。
風はないものの、曇りがちで歩いていても肌寒い天気でした。紅葉はすでに終わりかけていましたが、歩道の落ち葉をガサガサと踏みつけながらのウォーキングは気持ちがよかったです。
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武井ノ島展望台

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昨日、汐首山の帰りに近くの武井ノ島展望台へ行ってみました。駐車場からアップダウンのある遊歩道を350mほど歩きますと標高75mほどの展望台に到着します。
正面に武井ノ島、右手に汐首岬、そして左手には日浦岬を望むことが出来ます。下北半島までは直線で17.5kmといいますから、本当に近くに見えます。下北半島の大間町の住民は、青森市よりも函館市に親近感を抱いているのが分かるような気がします。
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汐首山の野生馬

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汐首山には野生馬がいます。野生馬というよりも「飼育放棄馬」といった方が正確なのかもしれません。だいぶ昔から野生同然に住みついているようで、この台地一帯の草を食べて生きています。おかげで広大な台地が刈り込んだようにきれいになっています。小型の「道産子」と呼ばれる馬で、温厚な性格と頑強な体力を有していることが特徴です。

この道産子馬。もともとは南部馬がルーツらしく、遥か遡ること江戸時代に使役の為に東北地方から連れられてきたそうです。夏場は人と一緒に働き、冬場は人が本州へ帰るので、彼らは雪の野山に放牧というか放置されたとのことです。翌春に生き残った放牧馬は捕獲されて、また人と一緒に働くというサイクルを繰り返していたようです。そんな繰り返しの中から過酷な北海道の自然に順応した馬として確立されたのでしょう。
「野生馬」や「飼育放棄馬」といいましたが、歴史的な経過をみますと、このような殆ど人手の加わらない生育環境が道産子馬にとっては最適なのかもしれません。
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初秋の函館山へ

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小春日和の昨日、函館山へ散策に行ってきた。連休そして絶好のハイキング日和ということで、朝早くから駐車場がびっしりになるくらい大勢のハイカーが来ていた。

夏頃に函館山に鹿が出没したとの報道があったが、その後はいなくなったようだ。海岸か川伝いにやって来たのだろうとのことだったが、鹿が増えているだけにこれからも同様の事例が発生するかもしれない。
若い頃に朝野球の試合や練習で来ていた函館山の麓のグラウンドで、よくキタキツネを見かけた。もともと棲んでいた系統の個体と思うが、近頃は見かけることないし聞いたこともない。絶滅したのかも知れない。
また、昨日の碧血碑に絡んだ観光客のブログに「碧血碑の近くに熊注意の看板が建っていた」との記事を見かけたが、少なくとも箱館に人が住むようになってからは熊が生息したという事実はないものと思う。当然のことながら函館山のハイキングに熊除け鈴はいらない。
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碧血碑

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函館の最高気温が24.5℃。昨日に続いて風も穏やかで気持ちの良い小春日和の一日だった。
そんな日和に誘われて妻と一緒に函館山へ行ってきた。

登山コースの途中に碧血碑がある。慶応4年/明治元年(1868年) に始まった戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争の旧幕府軍の戦死者を弔った慰霊碑である。
昨日のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一(当時篤太夫)は静岡藩仕官を命じられ、商法会所(銀行と商社の業務を行う合本組織)を開いたりと活躍の場を広げていた。一方の箱館では、7ヶ月に及ぶ激戦のすえ旧幕府脱走軍の敗北は決定的となり、ここに戊辰戦争は終焉することとなった。

資料によると、当時の明治新政府は旧幕府脱走軍兵士(賊軍)には関わらないように命令していたので、市民は後難を怖れて亡骸をそのまま市中に放置していたとある。この惨状に動いたのが、実行寺の日隆師、大工の棟梁の大岡助右衛門、そして江戸浅草出身の侠客・柳川熊吉という人物だった。いったん近くの寺に仮埋葬したのち、明治4年(1871年)になって熊吉は函館山の地を買い、ここにあらためて改葬した。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者が祀られているそうだ。

ちなみに私が通っていた小学校は中島小学校。所在地の中島町は、この中島三郎助親子に由来する。新政府軍からの降伏勧告も拒否し、残された砦のひとつ千代ケ岡台場で長男の恒太郎、次男の英次郎、腹心の柴田伸助らと共に戦死したそうだ。享年49歳。
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熊吉の功績を讃える記念碑が碧血碑のすぐ傍に建っている。生前の熊吉は、この碧血碑のすぐそばに居を構え、碑の管理に当たっていたそうだ。

私の高校時代の教科担任に柳川先生という方がおられ、先生は「私は任侠・熊吉の孫です」と仰っていたのを記憶している。担当教科は忘れてしまった。身近なところに歴史上の人物とかかわりがある方がおられるものである。
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桜の五稜郭公園

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今日(27日)、アルバイトで勤務する施設の職員(医療従事者)のワクチン接種が始まりました。私はお昼までの勤務ですので、ワクチン接種開始時間までを利用して、すぐ近くの五稜郭公園へ足を運んでみました。コロナ禍前は、インバウンドの人たちで凄い賑わいを見せていましたが、今日はその半分か三分の一程度の人出かなと思っていました。1時間程度の散歩でしたが、天気が良くて五稜郭公園の桜は最高でした。

そのワクチン接種。接種後30分程度様子を見ていましたが、まったく副反応はありませんでした。今(21:30)の段階では、接種部位の痛みも特に熱が出るような様子は全くありません。2度目の接種(5/18予定)の時は、一度目よりも反応が強く出るようなことが報告されていますが、どうなのでしょう。
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アスパラの王様

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七飯町に横津岳の天然水とミズナラチップで栽培した肉厚の大きな椎茸「王様しいたけ」というブランド椎茸がありますが、こちらは「王様アスパラ」と呼ぶにふさわしい巨大なアスパラです。
一昨日、厚沢部町の道の駅の即売所で見つけました。8本束ねてあって1200円でした。とにかく太く、普通のグリーンアスパラの数倍の太さがあります。帰ってから根元を測ってみましたら2.5cmもありました。早速、茹でたり、グリルで焼いたりして食べてみましたが、根元までやわらかいうえに味が濃くて最高に美味しかったです。
アスパラは鮮度が大事ですが、北海道物産展などに並ぶようなことがありましたら、メークインだけではなく厚沢部アスパラもぜひご賞味ください。
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厚沢部町 レクの森

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一昨日の続きです。厚沢部町の道の駅で特産のメークインを使ったコロッケを昼食に食べ、すぐ隣の「レクの森」へ足を運んでみました。昨年は冬眠明けの熊が園内を歩き回っているとのことで全面的に閉鎖されていましたが、一昨日は水芭蕉の小池のところまで入ることが出来ました。今日(14日)から全コースがオープンとのことです。
ここの水芭蕉もちょうど見頃を迎えてワンダフルでした。
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Spring Ephemerals in the Woods

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昨日の続きです。太鼓山を経由して沢へと下っていきます。
北海道の大雪山系をアイヌ語で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」といいますが、ここは「妖精たちが遊ぶ庭」と呼ぶに相応しいほどに春のひと時だけ見事な光景が広がっています。
カタクリ、キバナノアマナ、エゾエンゴサク、イチゲそして湿地には水芭蕉、リュウキンカなどが所狭しと咲いています。
写真の枚数が多くなってしまいましたが、ご覧いただければ嬉しいです。
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蝶のことも詳しくはないのですが、シータテハと思われる蝶がリュウキンカの花の蜜を吸っていました。まだ雪が残っているところもありますが、こんなに早く蝶が飛ぶんですね。成虫の個体で越冬するのかも知れません。翅を傷めないで、厳しい冬を越すものだと感心してしまいます。
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ワカサギ釣り風景 (動画)

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昨日投稿したワカサギ釣り風景の動画です。
広い雪原ですし風もほとんどありませんでしたので、はじめて高度100mまで上げてみました。ただ、小さな白い機体ですので、雪原ではどこへ行ったのか見失うことも度々でした。そんな時はこの装置に装備されているRTH(Return To Home)というボタンを押すと、離陸地点を記憶していて自動的に戻ってきます。50cmと違わずに戻ってきますので凄い技術と思います。

ワカサギ釣り風景

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スカッと晴れた日曜日。氷結した大沼湖のワカサギ釣りの様子をドローンを飛ばして眺めてきました。ジュンサイ沼を含めて数ヶ所の釣り場がありますが、ここ東大沼キャンプ場は釣り具のレンタルはなさそうですので、ほぼ地元の人で占められているような感じです。色とりどりのテントが点在し、その中でワカサギ釣りを楽しんでいます。
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お手軽ハイキング 仁山

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週2回のスイミングの際に通る国道5号から真正面に見える仁山高原の紅葉が綺麗と思っていましたので、妻と一緒に散策してきました。家からは20分程度と庭のようなところです。
道南地区では元祖のようなスキー場のあるところで、私も小学生のころから市電、汽車を乗り継いで訪れ、朝から夕方までよく滑ったスキー場です。スキー人口の減少とともに衰退して、今では第一リフトだけが動いているような感じになっています。
第二リフトと第三リフトのあったゲレンデは笹とススキが生い茂って歩けるような状態ではありませんでしたので、作業道を歩いてパノラマ展望台まで登ってきました。風はなく、天気もピカピカで、最高のハイキング日和でした。
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今日は空から

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今日も仕事はフリーですし天気も良いので、昨日に続いて大沼公園です。
カヤックにドローンを積み込んで上空から撮影してみました。水没の危険性がありますので、いつものように水上補助装置をつけての飛行です。ただ、手から直接飛ばしたりキャッチすることが出来るようになりましたので、補助装置はほとんど保険のような感じで装着しています。
湖面から見える紅葉は例年ですともう少し綺麗なのですが、今年は暖かい日が多いせいかパッとしません。今月の下旬にでももう一度トライしてみたいと思っています。
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湖畔をテクテク歩いて一周

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小春日和の日曜日。妻と大沼湖畔をテクテクと一周してきました。水芭蕉の咲くころと紅葉の今の時期に歩いて一周するようにしています。歩く距離は14kmほどですが、ほとんど休まずに歩いていましたので、少し疲れました。
今年は比較的暖かい日が多いせいか、紅葉はまだ早いような感じです。キャンプ場は今の時期にこんなにキャンパーがいるのというくらいに沢山のテントが張られていました。大沼公園広場ではハロウィンのイベントが開かれていてちょっぴり賑わっていましたが、例年のように歓声をあげているインバウンドがいませんので、やはり活況感がありません。なんとなく昔の落ち着いた雰囲気の大沼公園が蘇ったようで、個人的にはこんな感じの方が気に入ってますけどね・・・。
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汐首岬の野生馬

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先日行った汐首岬で、野生馬の様子をドローンで少しだけ撮影してきました。
汐首岬は旧亀田郡戸井町にある岬で、国道278号線(恵山国道)を函館から恵山方面に車で30~40分ほど走ったところにあります。亀田半島の最南端で、青森県の下北半島とは17.5kmしか離れていませんので、お天気が良いと山並みがくっきりと見えて、声が届きそうな距離感です。
海からゆったりとした道を290mほど登りますと、このような広大な草原が目の前に広がります。野生馬はもともと作業用として飼われていたようですが、その後放棄されて野生化したものです。一般的に道産子と呼ばれる馬種ですが、野生化しているからなのかやや馬体が大きいような気がします。
途中の国道には「馬注意」の看板があったりして、ちょっとほほえましいです。

動画は1分程度で、音楽が流れますので、再生に当たりましては音量を調節していただきますようお願いいたします。

「日本縦断 こころ旅」 函館・鎌歌

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俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を巡るNHK「日本縦断 こころ旅」。935日目の10月2日の放送は函館市戸井町からでした。横浜在住の版画家・佐々木孝さんの手紙を元に「こころの風景」と題して旅する回でした。

佐々木さんの思い出は函館市の「鎌歌」。故郷を思う佐々木さんは、その地名が忘れ去られてしまう前に、廃校になった母校の小学校跡や鎌のように曲がった入江がある海の風景を訪ねてほしいと正平さんへ依頼をします。撮影の日はあいにくの悪天候で、正平さんは悪戦苦闘しますが、たどり着いた元小学校の門には今も「鎌歌」の文字がありました。版画と変わらぬ「鎌歌」の風景に、番組をご覧になった佐々木さんはさぞ感激されているものと想像していました。
 
個人的なことですが、佐々木さんとは7年ほど前に函館で個展を開いた際にお会いしています。心がほっこりと温かくなるような色合いのとても素敵な版画で、ご自身が詠まれた詩歌とともに展示されていたのを印象深く思い出しています。
また、私のブログも本日はアクセス数が急増しておりますが、個展の記事が大勢の方に読まれているものと思います。佐々木さんは絵画の指導をされたり、絵本を出版されたりもしていますので、さすがに人気の版画家さんと感心しています。

せっかくの機会ですので、数年前の6月に武井ノ島を眺める戸井漁港で山肌を赤く彩るヤマツツジを撮影した際の写真を掲載したいと思います。佐々木さんもこの景色を眺めながら子供時代をお過ごしになられたことでしょう。
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 ブログ内の他の記事もご覧いただければ嬉しいです。左上のタイトル『北の小さな町から』をクリックしますと、トップページへ移動します。お時間がございましたら、ぜひお立ち寄りください。

カミーノ・デ・サンティアゴ

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NHK BSの「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km~」は大好きなシリーズで欠かさず見るようにしています。9月半ばから3回に分けての番組は、10分程度と短いながら相変わらずの美しい景色に溜息をついていました。

今回のシリーズでは、美しい家並みが広がるバスク文化圏を抜け、巡礼路の中で最も過酷と言われるピレネー山脈越えに挑みます。そして、牛追い祭りが有名なパンプローナを抜け、美食の町としても知られるログローニョの収穫祭に出会います。さらに、スペイン中央部の“メセタ”と呼ばれる砂漠のような高原地帯を進み、レオンの町では世界最大規模の寺院の荘厳なステンドグラスが出迎えてくれます。最後はガリシアの独特の文化を体験しながら、最終目的地の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指します。

残念ながら見ることは出来ませんが、BS-8Kでは10月9日から(1)宗教の道、(2)肉体の道、(3)魂の道としてシリーズが続くようです。通常のBSでも放映することでしょう。

写真は巡礼の道の景色の足元にも及びませんが、昨日行った汐首岬の高原の道路です。眼下は津軽海峡で、海を越えて真正面に函館山が見えています。草原化しているのは野生馬が食べちゃうからなのでしょうか。
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天高く馬肥ゆる秋

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9月も最後の日。仕事はフリーですし、お天気もまあまあということで、妻を誘って汐首岬へ野生馬を見に行って来ました。前回は風が強くて断念しましたが、今日は比較的風も穏やかでしたので、久しぶりにドローンを飛ばして少し高いところから眺めてみました。
「天高く馬肥ゆる秋」といいますが、春に産まれた仔馬は大きくなっていますし、親馬も冬に備えて丸々と肥えていましたね。
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朝ドラ「エール」で『船頭可愛や』を作詞した高梨一太郎

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お盆のお墓参りに行ってきました。
この記事は一週間ほど前に掲載しましたが、歌碑のある目の前が千秋庵總本家ですので、近くを通ったついでに趣のある建物を入れて写真を撮り直してきました。北海道には札幌千秋庵など各地に同名のお店がありますが、いずれも函館の千秋庵總本家から暖簾分けされたお店です。特に帯広千秋庵は、札幌千秋庵からさらに暖簾分けしたお店ですが、昭和52年に暖簾を返上して今の六花亭になりました。函館千秋庵總本家からみますと、六花亭は孫のような存在なのですね。

***********ここからは8月8日掲載の記事***********

お墓のある弁天(函館山山麓・ドック方面)へ行く前に、宝来町電停前の高橋掬太郎の歌碑へちょっと立ち寄ってみました。高橋掬太郎のことを知らない函館市民は多く、歌碑の存在もあまり知られていません。写真のように高田屋嘉平の銅像の前にひっそりと建っています。

この高橋掬太郎こそ、朝ドラ「エール」で高梨一太郎として登場し、古関裕而(古山裕一)が作曲して大ヒットした『船頭可愛や』を作詞した人です。「エール」では、第10週「響き合う夢」においてノゾエ征爾さんが高橋掬太郎役で出演していましたね。
※第10週の「響き合う夢」は、8月20日~25日に再放送されます。

高橋掬太郎は明治34年(1901年)に根室市の漁師の家に生まれました。同市の高校を中退後は私塾に通って国文学を学び、大正11年(1922年)に函館日日新聞社に入社しています。10代から作詞を始めていたようで、新聞社に勤めながら作詞活動も同時にしていたようです。
昭和5年(1930年)に「酒は涙か溜息か」を発表し、当時新人の古賀政男(木枯正人)が同詩に曲をつけ、藤山一郎(山藤太郎)が歌って空前の大ヒットになりました。その後、新聞社を退職し本格的に作詞家として活動するべく上京したものの数年はヒットがありませんでした。同時期に低迷して悩んでいたのが、古賀政男の紹介で知り合った古関裕而でした。二人は茨城県潮来市を取材旅行し、この旅行が切っ掛けで二人が作詞作曲した「利根の舟唄」という歌がそこそこヒットします。これが日本コロムビア(コロンブス)との契約解除の危機から古関裕而を救ったと言われています。
そして昭和10年(1935年)にあの名曲『船頭可愛や』をこのコンビが作詞作曲し、日本の歌謡史に残る名曲となったことはご存知の通りです。
IMG_3440youtubeにオペラ歌手の三浦環さんが歌う『船頭可愛や』がありましたので、拝借して掲載させていただきます。「エール」の中では、柴咲コウさんが演ずる双浦環として登場していましたね。この歌は私の生まれるずっと前に流行った曲ですが、母が好んで口ずさんでいましたので、私も小さい頃からよく知っていました。何となく粋でいい曲ですね。

※三浦環さんの動画はyoutubeから削除されましたので、音丸さん(ドラマでは藤丸)の歌に変えました。音丸さんもいいですね。音丸さんはドラマの通り下駄屋の女将さんだったようです。昔、テレビでお婆ちゃん(?)になった音丸さんの「船頭可愛や」を聴いたことがあります。

青の洞窟 岩部クルーズ (動画)

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岩部クルーズの最大のビューポイントである「青の洞窟」をGoProで撮影した動画です。
岩部クルーズ代表の平野松寿さんによる楽しいガイドと、船長の福士さんの巧みな操縦という息の合った絶妙のコンビネーションでクルーズは運行されています。「青の洞窟」はお天気に左右される要素が大きいと思いますが、眼前に広がる手つかずの大自然は想像以上の絶景です。ぜひお越しになってみてください。
《下のドローン写真は岩部クルーズのウェブサイトからお借りしました》
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動画は5分20秒ほどです。海岸線の奇岩などが複雑に入り組んで目を惹きますが、海の透明度にもご注目していただければと思います。潮の流れのはやい津軽海峡は美味しい魚介類や昆布など海の幸に恵まれています。
 

青の洞窟とツヅラ沢 「岩部クルーズ」

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圧倒的な自然美に溢れた海岸線の景観だけで大満足ですが、岩部クルーズの最大のビュースポットは「青の洞窟」です。その洞窟と昭和20年代に集落があったというツヅラ沢を別枠で記したいと思います。

まずは「青の洞窟」ですが、海上から見ると想像していたよりも間口が小さいという印象でした。ただ、実際に入ってみると結構奥行きがあり、また船が中で旋回できるくらいのスペースがありますから、外からの印象とは異なるものでした。天気によっては青く見えない日もあるようですが、当日はピカピカの天気でしたから、エメラルドグリーンに輝いて最高でした。それにしましても神秘的な色ですね。
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こちらは集落があったというツヅラ沢の全景です。
資料によりますと、終戦後の昭和23年4月、樺太から生まれ故郷の福島村(当時)へ引き揚げてきた山名菊太郎氏を代表とした6世帯35名が漁場開発を目的とし定着したそうです。もちろん電気も水道もありませんし、ヒグマの出没やマムシなども多く生活は困難を極めたようです。また、ご覧のように三方が急峻な山で囲まれており、漁船が福島村との唯一の交通手段でした。
ツヅラ沢湾内では、イワシ、ホッケ、ヤリイカ、ソイ等を、沖合では配縄漁でサメを獲り、それらを加工して北海道各地や本州へ出荷していたそうです。入植2年が経つ頃には、ツヅラ沢の塩辛は有名ブランドといわれるまでになったとのことです。
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当時の集落の様子です。雪がまだ残っていますので春先と思いますが、簡単な掘立小屋のような住居は本当に凍えるように寒かったのではと想像されます。そんなこともあり、3年目には全員この地を離れることになったようです。現在は当時の様子を感じさせる人工物はまったくなく元の自然に戻っていますが、松林だけは当時と変わらない姿を見せています。上陸できるものならテントを張って滞在したいような何となく惹きつけられる景色です。《貴重な写真は岩部クルーズのサイトからお借りしました》
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岩部クルーズのルートです。矢越岬までの約5kmを往復します。次回は紅葉時期の秋に行ってみたいと思っています。
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道南の秘境探訪 「岩部クルーズ」

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いよいよ岩部クルーズの出航です。船長さんから「最高の天気の日に来たねぇ」と声をかけられ、テンションが上がります。岩部の海は信じられないくらいに透明度が高く、海の底のウニなどが手に取るように見えます。
出発地点の岩部地区から隣の知内町の小谷石地区までは道路が通っておらず、それだけに自然がそのまま残っているまさに秘境に相応しい場所です。美しい海岸線には多くの奇岩や島が点在し、熊や鹿などの陸上生物、イルカなどの海の生き物、そしてイワツバメやミサゴなどの野鳥なども生息し眺めることが出来ます。
北海道には知床や積丹など素晴らしい景観の海岸線がありますが、それに負けないくらいに魅力のあるところと思いました。ぜひ、岩部海岸へお越しになってみてください。

※上から5枚目の写真は孵化20日目のカモメの雛です。
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『福島町がおごります』プロジェクト

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昨日の函館は最高気温が29℃と今年一番の暑さになりました。
仕事はお休みの日ですので、予約をしていた福島町の岩部クルーズへ行ってきました。昨年の夏にも予約をしていたのですが、あいにく天気が悪くなって欠航になった経緯があります。今年は絶対に行こうと待ち構えていたのですが、このコロナ禍で4、5月は中止になり、やっと6月から運航開始になりました。6月は標記のプロジェクトで全便無料になるとアナウンスされたら、数日で6月中の全便が満席になり、私のようにノロノロしている者はまったく予約の枠に入ることは出来ませんでした。7月はプロジェクトが無くなるので予約は大丈夫と予想していたら、今度は第2弾を実施するというではありませんか。第2弾は正規の料金を払い乗船するのですが、昼食のカレーと乗船料金に相当するお土産付きというものです。これも殺到するのではと思いつつも電話をかけると、何とか金曜日の午後の便に乗船できることになりました。そんなことで妻と一緒に福島町へ行ったというわけです。

そもそも大盤振る舞いをしている『福島町元気プロジェクト(それっ!福島町がおごります。)』は、福島町によりますと「医療関係や自粛されていた皆様に敬意を図ると同時に、感染防止に努めながら楽しんでいただきたいと思い企画を実施しております。自粛要請で溜まったストレスを自然豊かな当町で解消し満喫していただきたいと思います。」という趣旨なのだそうです。

乗船は13時ですので、12時までに来ていただき昼食はカレーを食べていただきたいということで、集合場所の岩部地区交流センターへ向かいました。いそいそと乗船手続きをして、オープンテラスで特製のアワビ・カレーをいただきました。それが下の写真のカレーです。ホタテベースのカレーにアワビが3個も乗っかっていて超豪華です。これ以上の贅沢はありませんね。最高に美味しかったです。
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お土産は乗船料金3000円に見合った商品の詰め合わせです。福島町産の海産物や飲料水、エコバックなども入っていました。岩部クルーズは海が穏やかで天気も良くて最高でしたが、こんなに大盤振る舞いをしていただいていいのって感じがしています。そうそう、横綱記念館などへの入場でもソフトクリームのサービスがあります。このソフトも超美味しかったです。
もう福島町大好きです。ワンダフル!! 美 Happy Fukushima。(^^♪
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横綱記念館と青函トンネル記念館

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函館から約80kmほどのところにある福島町へ行ってきました。
その昔、山登りに夢中になっていた頃に毎週のように行ってた大千軒岳の麓の町です。今回は前を通るだけで素通りしていた横綱記念館と青函トンネル記念館へ初めて入ってみました。

まず第41代横綱の千代の山と第58代横綱の千代の富士の偉業を讃えて建てられた横綱記念館です。
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第58代横綱の千代の富士。「ウルフ・小さな横綱」と呼ばれ誰からも愛された昭和最後の優勝力士です。惜しまれつつ平成16年に61歳の若さで亡くなったのは記憶に新しいところです。
妻の元ピアノの先生のご主人が、秋元貢(千代の富士)少年の小学校時代の担任だったということで、子供時代の様子をうかがって何となく親近感を抱いていました。千代の富士のお父さんは漁師だったようですが、貢少年は子供の頃から漁場に出て漁を手伝うほどに身体能力は抜群だったと話していました。千代の富士のようにスカッとする勝ちぶりのお相撲さんはもう出てこないような気がしますね。
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第41代横綱の千代の山は、私が子供の頃はまだ現役の力士でしたから何となく記憶に残っています。
私の父も小学校の教師で、若い頃に福島町にも赴任していたことがあって、当時の小学校で杉村昌治(千代の山)少年を担任したことがあると生前に話していました。詳しいことは忘れてしまいましたが、千代の富士と同様に子供の頃から身体が大きく運動神経も良かったそうです。力士時代は、細身ながら筋骨隆々とした体型で「鉄骨のやぐら」と称されていたようです。
人口4000人ほどの小さな町ですが、名横綱を二人も出すなんて凄いですね。
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そして同じ町内にある青函トンネル記念館です。
工事期間が20年以上、携わった人員が延べ1400万人の一大国家プロジェクトですが、この工事の北海道側基地が福島町でした。日本が世界に誇る世紀の工事の様子が、展示物や映像などで体感できる施設になっています。陳列されている掘削機械は、今では時代遅れになっているのかもしれませんが、気の遠くなるような海底トンネルをよく掘ったものと驚嘆してしまいます。
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大野川沿いの桜並木 (ドローン動画あり)

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隣町の北斗市(旧大野町)を流れる大野川沿いに約100本のソメイヨシノの桜並木があります。
一昨日の早朝、あまり人がいないことを確認して、上空からドローンで撮影してみました。
例年、ライトアップされたりして賑わうところなのですが、今年はすべて中止になっています。
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途中から風が強くなったり、ドローンの操作が未熟だったりして、思うような映像は撮れませんでしたが、ご覧いただければと思います。音楽が流れますので、再生時の音量にご注意ください。動画は約3分です。

 

大沼湖畔テクテク一周

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風がなく天気の良かった昨日、妻を誘って大沼湖畔をテクテクと歩いて一周してきました。
例年桜の開花前後のこの時季はインバウンドの人たちで大賑わいの大沼公園ですが、今年は殆ど人のいない閑散とした景色になっています。代わって湖畔道路に我が物顔で現れるのがキタキツネです。人慣れしているのか逃げもせずに頭を掻いたりしてリラックスムードです。

このキタキツネ、何とも愛らしいキャラクターなのですが、餌を与えたり、そばへ寄って触れたりしては絶対にいけません。エキノコックスという怖い病気の感染源として知られており、北海道では犬への感染報告がありますし、沢水も飲めないことになっています。新型コロナウィルスもそうですが、感染源となる動物には一切の責任はなく、すべては人間が原因を作っています。因果応報ということなのでしょうが、何ともやるせないですね。
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一周が約14kmと散歩にしてはちょっと距離があるのですが、新型コロナの感染のリスクは限りなくゼロですので、巣籠状態の息抜きには最適の場所です。
元気にレンタル自転車を漕いで一周していたインバウンド観光客は皆無ですし、遊覧船や手漕ぎボート屋さんなどは開店休業状態に、お土産屋さんや食堂などは軒並みシャッターを下ろしています。
気持ちの良い歩きなのですが、函館の西部地区と同様に異様な雰囲気をひしひしと感じながらの一周でした。
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開園から140年経つ都市公園も寂しい

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昨日、教会群巡りのあとに函館公園へ寄ってみました。
桜の蕾はだいぶ膨らんできていましたが、開花にはもう少し時間がかかりそうな感じです。
この函館公園は、市民の手によって作られた近代日本を代表する都市公園のひとつで、開園が1879年(明治12年)といいますから、140年以上も市民に愛されて今に至っています。

この公園は五稜郭公園と同様に桜の時季には花見客でとても賑わいます。開花前ということがありますが、外出自粛ということで教会群地区と同様に閑散としていました。
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園内には旧博物館1・2号、図書館旧館などの由緒ある建物と、小さな動物園と可愛い遊具のある「こどものくに」が併設されています。「こどものくに」にある小さな観覧車は、国内最古のものとして国の有形文化財に指定されています。1950年(昭和25年)に七飯町の大沼湖畔に設置され、1965年(昭和40年)に函館公園内に移設されたということです。米国に同じような移動観覧車があるようで、米国製ではないかといわれています。

誰も乗る人がいないものですから係のお兄さんが手持ち無沙汰にしていましたが、後になって乗ってあげればよかったなと反省していました。大人も大丈夫ですし、体重制限もありませんよ。(^^♪
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映画のセットのような函館西部地区

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撮影を終えた映画のセットというのでしょうか、それとも閉鎖したテーマパークというのでしょうか・・・今日散歩した函館の西部地区はそんな異様な雰囲気でした。

妻がボランティア関係の用事で函館市総合福祉センターへ行くというので一緒に出掛け、帰りに西部地区の教会群のあるところを一回りしてみました。
年中インバウンドの観光客で大賑わいの界隈が、人っ子一人いない状態で驚くというよりも恐怖を覚えました。子供の頃から函館を見ていますが、こんな異様な雰囲気を感じるのは初めてです。近年の中華系に偏ったインバウンド盛況は個人的には辟易していましたが、これほどまでに無残な姿になり住民の生活の匂いも伝わってこないことに寂しさが募ります。

一日も早くコロナ禍が終息することを祈り、そして復活した暁には活況を呈しつつも落ち着きのある観光地として生まれ変わって欲しいと願っています。
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蛾虫沢という妖精たちの郷

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太鼓山を下りたところに蛾虫沢(がむしさわ)という妖精の居場所に相応しくない名前の湿地帯があります。
民有地のなかの人工的な溜池ですが、土砂によって上流部の大半が埋め尽くされて、そこが湿地のようになっています。毎年、春になると色とりどりのスプリング・エフェメラルが咲き出して、まさに妖精たちの楽園のような景観になります。妖精たちの居住地として、また私たちのような部外者にも快く立ち入らせて観察できるようにしてくださっている所有者に感謝です。マナーを守って立ち入りたいと思っています。

湿地の主役はエゾノリュウキンカ(ヤチブキ)で、一面が黄色い絨毯で埋め尽くされます。昨日はちょっと早かったようで、咲いている花は僅かでした。もう5日~1週間程度で豪華絢爛な景色になるのではと思っています。
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野鳥も豊富で沢山の鳴き声が聴こえていました。北国の春を彩るスプリング・エフェメラルの数々、木々の葉が芽吹いて湿地を少しずつ覆う頃まで続きます。
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妖精を探しに

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今日の函館はやや風が強かったのですが、ピカピカの天気で最高気温が14℃と一段と春らしくなりました。
この天気に誘われて、厚沢部町の太鼓山へ春の妖精(スプリング・エフェメラル)を探しに妻を伴って行ってきました。全国的に外出自粛が求められていますが、グループで行動を共にするわけではありませんし、場所的に感染リスクは限りなくゼロに近いですから大丈夫と思っています。
実際に山では誰とも会いませんでしたし、溜池のある水辺の離れたところで数人の人を見かけただけでした。

麓の畑では土起こしが始まり、真っ白だった乙部岳も山頂部に雪を残すだけになりました。
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カタクリは今が見頃といった感じでした。枝分かれした登山道(作業道)の一部では、生育範囲を広げたカタクリで足の踏み場もないような状態にまでなっており、ここのカタクリは本当に見応えがあります。登山道の縁は、イチゲやエンゴサクも混じって賑やかになってきました。
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水芭蕉

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サイクリングの際に、大沼湖畔の水芭蕉の群生地へ寄ってみました。
少し早かったようで、まだ咲き揃ってはいませんでした。
来週中には見頃を迎えるかなと思っています。
そうそう、今年の冬は雪が少なかったせいか湿地の水溜まりも少ないような気がしました。
函館の桜の開花は今月20日頃とか言ってましたが、もうそんな季節なのですね。
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