カテゴリ

カテゴリ:ちょっと面白かった本

『そして、バトンは渡された』 瀬尾まいこ

カテゴリ:
瀬尾まいこの『そして、バトンは渡された』を読み終えたところですが、こんな感じの本は大好きです。登場人物はみんないい人で、ほんわかと温かくて、そして最後はちょっぴりウルウルさせて、とてもいい本です。

主人公の優子には3人の父と2人の母がいます。こう書くと、ちょっと不思議な気がするのですが、内実はこんな感じです。実の母は彼女が幼い頃に事故で亡くなります。父は再婚するのですが、ブラジルへの赴任を契機に離婚をすることになり、小学生の優子は継母とともに日本に残ることを選びます。梨花というその継母は生来の天真爛漫な性格からその後も結婚・離婚を重ねます。その結果、高校生になった優子は血の繋がりのない30代の森宮という男と正式な親子として普通に生活しています・・・そんな設定です。

第1章は、そんないろいろな親の元を巡って、高校を卒業するまでを綴っています。
第2章は、短大を卒業して就職をし、そして最愛のフィアンセと巡り合って、結婚するまでです。

実母以外の4人の親は、それぞれとてもユニークなキャラクターなのですが、みなに共通しているのは優子の幸せだけを考えて子育てに一生懸命なことです。まさに優子というバトンは周りの愛に包まれてリレーされるのです。その「愛」も仰々しいものではなく、普通に転がっているようなさり気なさで描かれており、この物語が一層魅力的なものになっています。

あまり詳しいネタバレをすると読む面白さが半減しますので、このへんまでとしますが、ぜひ多くの方に読んでいただきたい一冊です。
本屋大賞にノミネートされるといいなと思っています。
P6150010

『引き抜き屋 ②』 雫井脩介

カテゴリ:
『引き抜き屋』の下巻「②鹿子小穂の帰還」をやっと読み終えました。
小穂のヘッドハンティング業は山あり谷ありながら、なんとか順調に推移しています。そんななか、彼女の父が社長を務めるアウトドアメーカー「フォーン」の経営が怪しくなっていきます。もとはといえば社長がヘッドハンティングして招き入れた大槻という人物が陰で画策しているのですが、それを知った彼女は思い切った一手を打つことになります。
とても長い小説で、上下巻も必要なのかなと思ってしまいますが、それなりに痛快で面白いです。池井戸潤さんの「下町ロケット」や「陸王」などと雰囲気が似ており、池井戸さんの作品がお好きな方にはおすすめです。
P5090004

『オリジン』 ダン・ブラウン

カテゴリ:
ダン・ブラウンの『オリジン』、上下巻とも一気に読み終えました。2003年に『ダ・ヴィンチ・コード』を刊行して世界的なベストセラー作家になったダン・ブラウンですが、この作品も優劣をつけ難いほどに面白かったです。

主人公は宗教象徴学者のロバート・ラングドンです。彼の教え子でコンピューター科学の分野で輝かしい才能を発揮しているエドモンド・カーシュが主催するイベントに招待されてスペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館を訪れています。カーシュは、〝現代の預言者〟の異名をとるほどに名声を博しており、今回のイベントでは『我々はどこから来たのか。そしてどこへ行くのか』という人類最大の命題について、衝撃的な内容を全世界へ向けて発信しようというのが狙いです。人類にとって最も根源的なふたつの問いに答えるもので、それはエデンの園におけるアダムとエバを人類の起源とするキリスト教など既存の宗教の教義を根底から揺るがす事態を惹き起こすことが予想されます。当然のようにカトリックなどの宗教界からはプレゼンテーションの公開を強く反対されることになります。
カーシュ自身も身の危険を感じてのイベントの開催であり、警備は厳戒態勢で臨んだのですが、プレゼンが開始される直前にカーシュはステージ上で銃弾に倒れることになります。目の前で友人であり教え子を殺されたラングドンは深い悲しみと怒りを覚え、犯人を見つけ出すとともにカーシュの偉業を自分の手で世界に伝えたいと決意するのです。そんなラングドンにグッゲンハイム美術館の館長であるアンブラが協力を申しでます。このアンブラ館長は麗しい美女で、次期スペイン国王の婚約者としても知られている女性です。
ビルバオ、マドリード、セビリア、バルセロナを舞台に、ラングドンとアンブラの逃亡、そしてカーシュの残した謎に迫ることになります。その逃亡の手助けと核心部に迫る導きをしてくれるのが、カーシュが心血を注いで開発した人工知能(AI)のウィンストンです。ちょっとイギリス訛りの英語を話すウィンストンが凄いです。この小説の隠れた主人公がウィンストンかなとも思います。
これ以上書きますと、この小説の面白さが半減してしまいますので、あとはぜひお読みになってみてください。AIやIoTに代表される今話題のテクノロジーが、「進化論」やいわゆる「宗教論」とどのように関わっていくのか、興味深いお話が満載の小説です。
IMG_2709
IMG_2710

『引き抜き屋 ①』 雫井脩介

カテゴリ:
雫井脩介の『引き抜き屋』、前編にあたる「①鹿子小穂の冒険」を読み終えたところですが、この小説も凄く面白いです。

物語の主人公は、父が創業した中堅アウトドア用品メーカーに務める鹿子小穂(かのこさほ)です。30歳そこそこなのですが、創業家一族ということで、若くして本部長、取締役を務めています。しかし、会社の経営陣の高齢化に伴い、父がヘッドハンターに依頼し連れてきた大槻という男と意見が合わず、終いには会社を追い出されてしまいます。
途方に暮れる小穂の前に現れたのが、奇しくもヘッドハンティング会社を経営する並木でした。こうして、小穂は新米ヘッドハンターとして新たな一歩を踏み出します。最初は慣れない仕事に戸惑う小穂でしたが、次第に人脈を広げ、各界を代表するようなプロ経営者らと接触するなかで、少しずつトップレベルのハンティング・スキルを身につけていきます。
日本ではあまり知られていないヘッドハンターという仕事。私などとは生きる世界が違うエグゼクティブ・パーソンを対象にしたビジネスのお話ですが、なかなか奥が深くて、エキサイティングで面白いです。これから後編を読み始めるところですが、次はどのような世界が待ち受けているのか、ワクワクしてきます。
P5090005

『崩れる脳を抱きしめて』 知念実希人

カテゴリ:
知念実希人の『崩れる脳を抱きしめて』を読み終えました。
本屋大賞にノミネートされた10冊のうち、この本だけ読んでいませんでした。というのもタイトルがちょっとショッキングでしたので、読むのを躊躇っていたからです。でも実際に読んでみたら、恋愛とミステリーを合わせたような普通の小説でとても面白かったです。知念さんは現役の内科の医師ですので、専門的な医学用語が沢山出てきますし、現代医療が抱える問題点も浮き彫りにしているなど、このへんも興味深く読ませていただきました。

物語の主人公は研修医として1ヶ月間の予定で神奈川県の「葉山の岬病院」へ赴任してきた碓井蒼馬です。この病院は主として終末期医療を対象にしており、富裕層が多いということもあり、全室が個室で飲酒や喫煙、プライベートシアターなど患者が希望することはなるべく叶えるというシステムを採り入れています。この主人公の碓氷、幼い頃に父親の会社が破産し、その流れで父親が失踪するという家庭環境にありました。父親は借金を残して愛人と外国へ逃げ、そして1年後に不慮の事故で命を落とすという不運を背負っています。
碓井は、この病院で28歳の弓狩環(ユカリ)という患者を受け持つことになります。彼女はグリオブラストーマ(膠芽腫)という悪性度の高い脳腫瘍を患っていて、余命いくばくもないという状況にあります。ユカリ自身、見た目は比較的元気そうに見えるのですが、一歩も病院の外へ足を踏み出すことが出来ないと語ります。それは、ユカリが持っている膨大な遺産の相続を心待ちにしている親族が、待ちきれずに彼女の命を奪おうとしているからだと話すのです。
一方、研修施設になっている超豪華病院「葉山の岬病院」の院長をはじめスタッフの行動にも奇異な点が目立ってきます。物語は、複雑な人間関係、そしてお互いの欲望、利害が絡んで進んでいきます。最後まで展開がどのようになるのか、予測不能な面白さがあります。
P5090001

『蒼き山嶺』 馳星周

カテゴリ:
馳星周の『蒼き山嶺』。これも壮大なスケールの物語で素晴らしい一冊でした。

物語の主人公は北アルプス北部地区遭難対策協議会で働いている得丸志郎です。山に登る仕事がしたくて長野県警の山岳救助隊員になったのですが、交番勤務を命じられて退職。妻とは離婚して好きな「山屋」をしているものの山岳ガイドなどを掛け持ちしたりして慎ましく生活しています。そんな得丸が残雪期の白馬連峰をパトロールしている時に大学の山岳部時代の友である警視庁公安部の池谷博史と偶然再会します。池谷は卒業後殆ど山には登っていないこともあって初心者同然で、得丸へ白馬岳山頂までのガイドを依頼します。そして、徳丸が気象情報などを得るために麓の仲間に電話を入れた際に、麓では検問などが敷かれて大騒動になっていることを知ります。背後を振り返ると池谷が拳銃の銃口を押しつけて、白馬岳を越え栂海新道を通って日本海まで連れて行けと命ずるのです。
旧友との再会もそこそこに恐怖におびえつつトレースもすぐ消えるほどの激しい猛吹雪のなかを山行することになります。そんな折、もう一人の女性登山者と出会うことになります。三枝ゆかりという相当な登山スキルを持った女性ですが、不運なことに彼女も池谷の逃避行の渦中に巻き込まれてしまいます。この三枝ゆかりは、またまた偶然なことに二人の大学時代の同期で同じ山岳部に所属した若林純一の妹だったのです。若林は大学時代から天才的な才能を発揮し、卒業後は有名クライマーとして名を馳せて、世界の8000m峰14座の半分を制覇するまでになっていましたが、惜しくもK2で雪崩に遭って命を落としていました。
想い出すのは、「3羽烏(からす)」と言われ互いに切磋琢磨し夢と希望に溢れた青春の日々のこと。一方、現実はと言えば、過酷な悪天候の中を死と隣り合わせの苦しい逃避行に付き合わされる我が身。それらが行きつ戻りつして物語が進んでいきます。池谷の目的は何なのか、現在の朝鮮半島の問題とも絡んでタイムリーな山岳ミステリーです。
これから先は小説をお読みになってください。面白くて最後まで一気に読んでしまいたくなる一冊です。
IMG_2638

『罪人が祈るとき』 小林由香

カテゴリ:
小林由香の『罪人(つみびと)が祈るとき』。これも星4つ半くらい付けたいほどに読み応えのあるいい本でした。
物語の主人公は親から見捨てられ、親友にも裏切られ、そして学校では謂れのない虐めを受ける高校生の時田祥平です。つくづくこの世が嫌になり、いじめの張本人を殺して自分も死のうと覚悟を決めます。そんな折に彼の前に不思議なピエロが現れて、彼の殺人計画を手伝ってやると申し出るのです。
もう一人の主人公は風見という会社員です。中学生の息子を虐めで亡くし、その事件が切っ掛けで精神の安定を欠いた妻も1年後に自ら命を絶つことになります。やるせない気持ちを抱えた風見はもぬけの殻のようになるのですが、あることを切っ掛けに犯人探しをはじめることになります。
二つはまったく別の事件なのですが、あるところで結びつくことになります。あとは作品をお読みになってみてください。頁を捲る手が急かせられるような気持になること間違いなしです。
テーマは復讐の連鎖と思いますが、ただネガティブなスパイラルばかりを捉えているわけではなく、それ以上に善の連鎖をも取り上げているところが作品の素晴らしいところです。小林由香さんの2作目になるヒューマン・ミステリーをぜひお読みになってみてください。
本屋大賞にノミネートされることを祈っています。
《図書館からお借りしました》
IMG_2641

『オーパーツ 死を招く至宝』 蒼井碧

カテゴリ:
第16回「このミステリーがすごい! 大賞」を受賞した蒼井碧の『オーパーツ 死を招く至宝』を読み終えました。ちょっとドタバタした笑えるミステリーで、それなりに面白かったです。
主人公は大学生の鳳水月(おおとりすいげつ)とオーパーツ鑑定士を自称する探偵役の古城深夜(こじょうしんや)です。赤の他人なのですが、誰が見ても双子のような瓜二つの顔立ち、身体つきをしています。
オーパーツとは、「その時代の技術や知識では作り得ぬ古代の工芸品」の総称をいうらしく、古城深夜の胡散臭くも成程と思わせる蘊蓄が読んでいて楽しいです。4つの短編に登場するのは水晶髑髏、プレ・インカ文明が生んだ黄金シャトル、ヒトと恐竜が共存していたことを示す恐竜土偶、そして謎めいた巨石遺構などです。どれも曰く付きでインチキ臭いものばかりです。それらを秘蔵していた邸宅で殺人事件が起こるのですが、古城深夜は自説を展開しつつ不可解な事件を推理して解決へと導いていきます。鳳水月と古城深夜のコンビの掛け合いが可笑しく、漫才を見ているような感覚でスイスイ読めちゃいます。
《図書館からお借りしました》
IMG_2643

『風神の手』 道尾秀介

カテゴリ:
朝日新聞出版10周年記念作品となる道尾秀介の『風神の手』を読み終えました。
物語の舞台は、鮎の"火振り漁"で有名な西取川という綺麗な川の流れる町にある鏡影館という遺影専門の写真館です。この写真館に纏わる人々の4篇からなる連作短篇集ですが、それぞれのお話は関連性を持ちながら最後に収斂するという仕掛けになっています。
第一章の「心中花」は、死を目前にした母親が娘と一緒に訪れた鏡影館で若かりし頃の初恋の人との出来事を娘に語り聞かせるという内容です。自らの嘘が招いた罪の告白がキーになっています。第二章の「口笛鳥」は、鏡影館をたまたま訪れた青年が遺影と共に飾られた1枚の写真を見た事が切っ掛けとなって、小学生時代の親友との思い出を回想するというものです。子供なら誰でもついたであろうささやかな嘘が話の軸になっています。第三章の「無常風」は、ある老女が若き日に犯した罪を語ることで長い間の心の重荷と葛藤からようやく解放されるというものです。それと並行してこの町に過去に起きた出来事の経緯とそれらの因果を探る若者たちの姿を描いています。
一見バラバラに思えるピースが、世代を超えて一つの物語に収束していく筋立ての見事さには唸ってしまいます。
ちょっとした出来事が悲劇を生み、それをきっかけに些細な嘘と誤解が伝播して、多くの人たちの人生を変えていく・・・人生は人智を越えて「風神」の風の吹くままに揺らいでいるものなのかも知れません。ただ、変わってしまった人生が必ずしも不幸とは限らないという優しさが全編を通じて流れていて、温かい人間愛を感じさせる作品に仕上がっています。

そうそう、短編の「心中花」、「口笛鳥」、「無常風」、「待宵月」のそれぞれの末字を合わせますと「花鳥風月」となります。ちょっと粋ですね。いい本です。
IMG_2647

『路上のX』 桐野夏生

カテゴリ:
桐野夏生の『路上のX』を読み終えました。
凄いというか、読み終わって溜息しか出ませんでした。
まず、この本の中には「JKビジネス」、「リィンカーネーション」なる言葉が出てきます。私は初めて聞く単語でしたが、皆さんはお分かりになりますでしょうか。
「JK」とは「女子高校生」の意味で、女子高校生の親密なサービスを売りとしたビジネスなのだそうです。具体的には、マッサージが基本の「リフレ」、仲良く街歩きをする「散歩」、お店で飲食する「カフェ」、「コミュ」は会話を楽しむらしいです。そして制服姿で何かをする様子を見せるのは「見学・撮影・作業所」というのだそうです。それぞれ数千円単位の料金体系になっているようで、もっと進むと金額が高くなる「オプション」というのもあるようです。
「リィンカーネーション」とは「輪廻」とも訳すようですが、こういう境遇の子供たちは、自分たちは世代を超えてまでもその環境から抜け出せないという思いがあるらしく、物語の中で「リィンカーネーション」と呟くシーンがあります。『簡単に親になれるが、同じことを繰り返す気がする』と・・・何とも重い言葉ですね。

物語の主人公は、両親の失踪により貧しい叔父の家に預けられた女子高生の真由(16歳)です。叔父の妻から寝る場所は勿論のこと、まともな食事すら与えられない厳しい状況におかれることになります。普通の真面目な高校生の真由ですが、叔父の家には居場所がなく、必然的に家には居ずらくなります。しかもお金がないため渋谷のラーメン屋でバイトをし、カラオケボックスなどで寝泊まりする日々を送っています。
もう一人の主人公はリオナ(17歳)です。男癖の悪い母親の何番目かの継父から性的虐待を受けるのですが、それを見て見ぬふりをする母親に愛想を尽かし家出をして、JKビジネスで何とか生活をしています。
真由に次々と接近してくる胡散臭く危ない男たち、当然のようにいろいろなトラブルに巻き込まれて行きます。誰も信用できなくなっていた真由ですが、ある偶然からリオナと出会うことになります。逞しくも優しいリオナに信頼を寄せ、過酷な闇ばかりの社会の中で苦しみ傷つきながら生きていきます。あとは本書を読んでみてください。想像を絶する闇の世界に驚いてしまいます。

450頁ほどの本で、読後は本当に溜息しか出てきません。こんな田舎にいますと、あまりピンとこないというのが本音ですが、近頃の芸能界は勿論のこと官僚や政治家にまでセクハラや性ビジネスとの関連を窺わせるようなスキャンダルが飛び交っているところを見ますと、現実はもっと酷いのかも知れません。何が悪いのか、何を正せば良くなるのか私には分かりませんが、複合的な原因が複雑に絡み合っていることは確かなようです。そうそう、「JC」や「JS」というビジネスも出現しているそうです。何かお分かりになりますか。
IMG_2645

『護られなかった者たちへ』 中山七里

カテゴリ:
中山七里の『護られなかった者たちへ』を読み終えました。

物語の舞台は震災後の「ヒト・モノ・カネ」が集まっている仙台です。ある日、全身を縛られたまま放置され、餓死させられるという驚愕の連続殺人事件が起きます。一人目は誰もが善人と認める市の福祉保健事務所職員、二人目はこちらも人格者と名高い現役の県議会議員です。 
この連続殺人事件が起きる数日前にこの物語の主人公である利根という男が7年の刑期を終えて出所していました。利根は知人の生活保護申請を巡って塩釜の福祉職員らと口論になり、相手を殴った上に庁舎に火を放ったことで逮捕され、懲役10年の実刑判決を受け、模範囚として7年で刑期を終えていました。物語は、事件を捜査する県警の刑事の人生とも絡んで複雑に進行していきます。
利根と殺害された二人の接点とは・・・思わぬ展開が待ち受けていますし、最後のどんでん返しが凄いです。
これ以上のネタバレはこの小説の面白さや興味を半減させてしまいそうですので、これくらいにさせていただきます。

ミステリーとしても面白いですが、生活保護を巡る日本の社会福祉制度の問題点に着目して物語が構成されていますので、とても骨太で読み応えがあります。おすすめしたい一冊です。

最後に犯人がSNSに投稿していた犯行声明の一部を掲載させていただきます。(P379~380)
『現在の社会保障システムでは生活保護の仕組みが十全とはとても言えません。人員と予算の不足、そして何より支給される側の意識が成熟していないからです。不正受給の多発もそれと無関係ではありません。声の大きい者、強面のするものが生活保護費を掠り盗り、昔堅気で遠慮や自立が美徳だと教え込まれた人が今日の食費にも事欠いている。それが今の日本の現状です。そして不公平を是正するはずの福祉保健事務所の職員の力はあまりに微力なのです。(中略)護られなかった人たちへ。あなたは決して一人ぼっちではありません。何度でも勇気を持って声を上げてください。』
P4160001

『ふたご』 藤崎彩織

カテゴリ:
直木賞にノミネートされた藤崎彩織の『ふたご』を読んでみました。
ご存知のように彼女は2011年にメジャーデビューした4人組バンド「SEKAI NO OWARI(セカオワ)」でピアノや作詞作曲、ライブの演出などを担当しています。そんな彼女が演奏活動と掛け持ちで5年という歳月をかけて書き上げた一冊だそうです。

主人公は、中学二年生でピアノの道を進もうとしている西山夏子。学校や友達とうまく関係を結べずにいます。そんな時、独自の感性を持つ一年先輩の月島悠介に出会い、何となく惹かれていきます。しかし、月島は進学した高校を「やりたいことがない」と中退し、心機一転で旅立ったアメリカの留学先からも2週間で帰ってきます。ある日、月島はパニック障害になり、それがきっかけでADHD(注意欠陥多動性障害)と診断され精神科に入院します。
その後、徐々に回復し、夏子が大学生になったころ、「バンドをやる」と夢に向かって歩き出します。夏子も月島に振り回されつつもバンドのメンバーに加わり、紆余曲折を経て成功への階段を歩き始めていく、そんなストーリーです。
1部と2部に分かれており、1部は二人の出会いから夏子が高校を卒業するまでのいわゆる青春篇。そしてバンドを結成して仲間が増え、音楽会社の新人発掘部門に見いだされるまでが2部という構成になっています。

私にとって「SEKAI NO OWARI」は、NHKの「紅白」でたまたま聴いたくらいの知識しかありませんし、当然のようにグループや彼女の音楽ファンでもありません。そんな無知な読者ですが、この小説はほとんど「SEKAI NO OWARI」のメンバーや結成に纏わる実話なのかなと思ったりしています。
個人的に物語にはまったく興味が湧きませんでしたが、藤崎彩織さんの文章はシンプルなうえに日本語が綺麗だなと思って読んでいました。次作はもっと素敵なものを読ませてくれそうで、楽しみな作家さんが増えて嬉しく思っています。
P40700481

わぁ~、『かがみの孤城』が大賞受賞

カテゴリ:
本日午後7時からの「本屋大賞 2018」の模様をライブ配信で固唾をのんで観ていました。
結果は、予想通り辻村深月さんの『かがみの孤城』でした。
投票数はダントツ(651.0点)で、2位(盤上の向日葵 283.5点)に大差をつけての文句なしの受賞でした。
もう嬉しくて、ひとりで祝杯をあげていました。(^^♪
いろいろな文学賞がありますが、「本屋大賞」が一般読者の皮膚感覚に一番近いような気がしますね。
まだ、読まれていない方は、ぜひお読みになってください。
2018_final_poster_book-1

輝く「2018年 本屋大賞」に選ばれるのは・・・

カテゴリ:
全国の書店員が選ぶ「2018年 本屋大賞」が、明日4月10日午後7時に発表されます。
今年で15回目になり、有志の書店員で構成するNPO本屋大賞実行委員会が主催しているのだそうです。書店で働く書店員による投票で決めることはご存知の通りですが、今回は全国の504書店、665人の投票があったそうです。以下の10作品がノミネートされていますが、輝く大賞はどの一冊でしょうね。

・『AX』(伊坂幸太郎)
・『かがみの孤城』(辻村深月)
・『キラキラ共和国』(小川糸)
・『崩れる脳を抱きしめて』(知念実希人)
・『屍人荘の殺人』(今村昌弘)
・『騙し絵の牙』(塩田武士)
・『たゆたえども沈まず』(原田マハ)
・『盤上の向日葵』(柚月裕子)
・『百貨の魔法』(村山早紀)
・『星の子』(今村夏子)

私は『崩れる脳を抱きしめて』は読んでいないのですが、他の9冊は読み終えています。
今回はいずれも力作ぞろいで読み応えのある作品ばかりでしたが、そのなかでもピックアップするとすれば、『AX』『かがみの孤城』『屍人荘の殺人』『騙し絵の牙』『盤上の向日葵』かなと思っています。
そして大賞ですが、これは絶対に辻村深月さんの『かがみの孤城』を挙げたいと思います。
中学生が主人公の物語ですが、年代や性別にかかわらず、楽しく読める内容ですし、ストーリーは勿論のこと、ファンタジーやサスペンス、ミステリー要素などがバランスよく組み込まれていて、とても良かったと思います。500頁を超える小説ですが、辻村さんのリズミカルな文章が読んでいて心地よく、読後感も最高でした。もう、輝く大賞はこの一冊以外にはないかなとまで思っています。
皆さんはいかがでしょうか。ハラハラ・ドキドキしながら発表の瞬間を待っています。
PB050005

『七色結び』 神田茜

カテゴリ:
講談師の神田山陽のお弟子さんであった神田茜の『七色結び』。こういう楽しい小説は大好きです。
主人公は40代の普通の主婦・矢沢鶴子です。夫は会社員の光太郎。息子は中学生の永亀、そして姑のナナの4人家族です。義父の矢沢永一は数年前に亡くなっています。
彼女は、義父・義母のちょっと華やかな名前の表札の隣に自分たちの「光太郎・鶴子」という時代がかった名前の表札を並べることに躊躇いを感じています。
彼女は、断れない性格から次々と面倒ごとを引き受けてしまうのが常なのですが、ついにはPTA会長までやることになります。これがまた問題続出で大変なことになってしまうのですが、そんな時に姑のナナさんが嵌っているビジュアル系ミュージシャンの会報誌を目にするのです。最初はナナさんのことを呆れていたものの、自分も現実逃避をするかのようにどんどんビジュアル系の深みに嵌っていきます。ミュージシャンの存在を心の支えに硬直化しつつあるPTAを改革しようと奮闘する鶴子さんの活躍が涙ぐましくも痛快です。ストーリーが笑えて楽しいですし、後半には思わぬ展開が待ち受けていますので、ぜひ読んでみてください。軽いタッチですので、すぐ読めちゃいます。
『七色結び』というタイトルは、鶴子さんが内職をしている水引からきています。
P4090046-3

『海馬の尻尾』 萩原浩

カテゴリ:
萩原浩の『海馬の尻尾』を読み終えました。

舞台は近未来で、テロで2度目の原発事故が起きてしまった日本という設定です。主人公の及川は粗暴極まりないヤクザで、背中には観音菩薩の刺青、そして身体中に子供時代の虐待の痕と抗争による傷があります。2度目の懲役を終えた及川は酒乱でもあり、組でも持て余されています。ある日、見かねた若頭(かしら)からアルコール依存症を治すように大学病院行きを命じられることから物語が始まります。検査の結果、アルコール依存症だけではなく、反社会性パーソナリティ障害(サイコパス)と診断されます。他の組との抗争から身を隠す必要もあり、しぶしぶ治療プログラムを受け入れて山の中の施設に入所し、そこで様々な患者たちと出会います。その中の一人にウィリアムズ症候群(妖精顔症候群)の少女・梨帆がおり、彼女との触れ合いの中で、及川自身も少しずつ変わっていきます。恐怖心が欠如している男が治療の過程で恐怖心という感覚を覚え、人の顔にも声にも表情があることを学んでいく過程は医学的にも興味深いですし、脳内の認知感情の複雑さというか不思議さには驚かされます。

近未来というこの物語の時代背景において、自衛隊は「自国防衛隊」に改名され、某国で武力衝突を繰り返すという限りなく戦争に近い状況にあります。また同時にフクシマ以上の原発事故後という社会情勢ももう一つの重要なキーになります。読者はこの危機的な社会情勢の中で仕組まれた治療プログラムの本当の意味を最後に知ることになります。500頁に迫る殆どが凄惨な暴力的な描写ですが、全体に喜劇的であり、またミステリー要素もあって読み飽きることはありません。
《図書館からお借りしました》
IMG_2582

『また、桜の国で』 須賀しのぶ

カテゴリ:
須賀しのぶの『また、桜の国で』を読み終えました。
昨年の直木賞と本屋大賞の2冠に輝いた『蜜蜂と遠雷』を押さえて、見事に第4回高校生直木賞を受賞した作品ですし、2017年8月から全15回にわたってNHK-FM「青春アドベンチャー」で放送されましたので、ぜひ読んでみたいと思っていました。500頁近い大作ですし、読み応えのある作品で良かったです。

主人公は、ポーランド・ワルシャワにある日本大使館に書記生として着任する棚倉慎(まこと)です。物語の幕開けは慎が乗り込んだワルシャワ行きの電車のコンパートメントです。時代は戦争の色が濃くなる1938年秋のことでした。同じ列車に乗り合わせたユダヤ人のカメラマン、ヤン・フリードマンとひょんなことから同室になります。当時のユダヤ人のおかれた状況は危機的なものでしたし、慎もロシア人の父と日本人の母を持つ混血児という微妙な立ち位置にありましたので、ヤンを見て心を動かされます。
ヤンとの会話の中で、少年の頃にシベリアで保護されて来日したポーランド人孤児の一人、カミルとの思い出が浮かび上がってくるのです。ちなみに、この小説に出てくるイエジ・ストシャウコフスキは実在の人物で、帰国後の1928年に17歳でシベリア孤児の組織「極東青年会」を組織し、自ら会長として活躍したそうです。

のちにこのカミルとも奇跡的に再会するのですが、慎とヤン、カミルの3人は民族や国籍の壁を超え、戦争の惨劇を繰り返してはならないという思いを共有し、1944年のナチス・ドイツの占領に対するレジスタンス「ワルシャワ蜂起」に立ち上がるのです。この「ワルシャワ蜂起」では、20万人にもおよぶ尊い人命が失われ、美しいワルシャワの街も壊滅的な状態に陥ったそうです。
ポーランドとの友誼と現地の人びととの交流を守ろうとする慎の一途な姿、そしてポーランドを舞台にした悲惨な戦闘、ユダヤ人を取り巻く目を覆うほどの惨状など、人間の清濁および歴史の事実を克明に描いた素晴らしい作品でした。

そうそう、この小説にはショパンの『革命のエチュード』が通奏低音のように流れ、重要な役割を担っています。この曲は、時代を遡る1830年にワルシャワがロシアによって制圧された時に起きた「11月蜂起」の際に、パリにいてレジスタンス運動に参加できず敗北感にうちひしがれたショパンが作曲したと言われています。『革命のエチュード』を聴きながら、本書もぜひ読んでいただきたいと思います。
《図書館からお借りしました》
IMG_2542-2

『駐在日記』 小路幸也

カテゴリ:
小路幸也の『駐在日記』。ほんわかと温かい感じの小説で良かったです。
昭和50年、関東のとある田舎町の駐在所に赴任してきた簑島周平さんと彼の奥さんの花さんがこの物語の主人公です。周平さんは前任地の横浜では刑事をしていましたし、花さんは同じく横浜の大学病院で外科医をしていました。花さんは医療にかかわる事件に巻き込まれて利き腕である右手に重傷を負い、勤務医を辞めることになります。そんな花さんに静かな暮らしをさせたくて、周平さんは望んでここ雉子宮の駐在所に勤務することにしました。
4編の連作短編のいずれも田舎の出来事や事件に纏わるお話ですが、心優しい周平さんと花さんのとりなしで平穏というか丸く収まって、思わず「良かったね」と声を出したくなります。
文章も読みやすいですし、優しくてほんわかとさせてくれるいい本でした。
《図書館からお借りしました》
P3220001

『キラキラ共和国』 小川糸

カテゴリ:
大好きな小川糸さんの『キラキラ共和国』も良かったです。
ツバキ文具店は今まで通りに健在ですし、代書のほうもいろいろな依頼が舞い込んできています。変わったことと言えば、主人公の「ポッポちゃん」こと雨宮鳩子がミツローさんと結婚して守景鳩子になったことと、ミツローさんとともに小学一年生のQPちゃんが家族になったことです。
お隣の明るく元気なバーバラ夫人などに囲まれ、家族三人になった「モリカゲ共和国」のキラキラと輝くような日々を綴っています。ウルウルするような素敵なお話ばかりで、本書を携えて鎌倉の街をのんびり歩きたくなってしまいました。ぜひお読みになってみてください。
《図書館からお借りしました》
IMG_2520

『サハラの薔薇』 下村敦史

カテゴリ:
下村敦史の『サハラの薔薇』、面白くて一気読みです。
エジプト考古学が専門の大学准教授の峰という男が主人公です。エジプトで発掘調査中に悲願だった王家の墓を見つけたところから物語が始まります。しかし、石棺の中にあったのは、古代王家のミイラではなく、死後数ヶ月しか経ってないミイラ状の死体だったのです。しかも、考古学的には何の価値もないそのミイラ状の死体が武装グループによって強奪されるという不可解な事件も起こるのです。失意のうちにフランスからの要請による講演に旅立つのですが、その飛行機がなぜか航路を変えてサハラ砂漠に墜落します。わずかに生き残った人々と、オアシスを目指して決死の脱出を図るのですが・・・。
ここからの延々と続くミステリー要素をたっぷり含んだサバイバル・ストーリーが凄いです。
下村さんのいずれの作品も単なるエンタメで終わることはないのですが、本作も世界レベルの大きな社会問題が底流に流れていて、読者は最後にその提起の意味を知ることになります。
サハラ砂漠やアルジェリアの古都を一緒にサバイバルで生き延びるスリリングな臨場感も味わえますし、「オクロの天然原子炉」という耳馴れない不思議な地質学的現象を知ることも出来ますので、面白い一冊でした。
IMG_2523

『屍人荘の殺人』 今村昌弘

カテゴリ:
今村昌弘の『屍人荘の殺人』。今期の本屋大賞の10作品の一つとしてノミネートされているだけあってとても面白かったです。

まずもって怪しげな装丁と『屍人荘』というタイトルからして怖そうな印象を受けます。表紙を捲りますと冒頭に本書の登場人物(16名)の紹介と、舞台となる3階建ての山荘の見取り図などが掲載されています。
物語は大学のあるサークルの夏合宿という設定です。この豪華な山荘に集った仲間たちは、思いがけない事件で山荘内に閉じ込められることになり、その中で身の毛もよだつような凄惨な連続殺人事件が起こります。
ミステリーでいうところのいわゆるクローズド・サークルという王道設定なのですが、この小説はそれにとどまらない奇想天外というか斬新な展開が用意されています。あまりにも展開が凄すぎてミステリーとして収拾がつくのかハラハラしますが、最後は謎解きのピースが見事に嵌るところはさすがと思いました。
詳しいことを書いちゃいますと読む楽しみがなくなってしまいますので、これ以上詳細は書きませんが、ホラー要素あり、本格的なトリックあり、そしてミステリーとしても超一級で抜群に面白かったです。
P30700151

『俺はエージェント』 大沢在昌

カテゴリ:
大沢在昌の『俺はエージェント』を読んでみました。
装丁の面白そうな絵と題名、そして帯の「007になりたい俺と時代遅れの老兵たちの決死の大作戦」という言葉に惹かれて読み始めたのですが、私にはちょっと期待外れの一冊でした。

1960年代の東西冷戦を背景にしたジェームズ・ボンドが活躍する007シリーズ。それに続く二番煎じともいえるB級スパイ小説好きが高じてエージェント(工作員ないし諜報員の意)に憧れる三十間近いフリーターの村井という青年が主人公です。行きつけの大衆居酒屋で常連客の白川というお爺さんと自称・推理作家の大西という男らと一緒にスパイ談議に花を咲かせていると、白川に一本の電話がかかってきます。その電話によって主人公・村井の平凡な日常は終わりを告げることになります。それは23年ぶりに復活した「コベナント」という極秘ミッションの発動だったのです。
村井と白井という40以上も歳の差のある迷コンビが、このミッションによって本格的な工作・諜報の世界に投げ込まれ、次々と襲いくる陰謀や危機に立ち向かっていきます。全体に登場人物などからしてユーモラスで漫画チックなのですが、現代の複雑にして混沌とした世界情勢と日本の世相の捉え方は真面目で的確であり、彼らシークレット・エージェントの活躍が何となくすんなりと受け入れられるのですから不思議です。ただ、最後まで誰が味方なのか敵なのか判然としない500頁超の長編、少し読み疲れの否めない一冊でした。
《図書館からお借りしました》
IMG_2492

『百貨の魔法』 村山早紀

カテゴリ:
村山早紀の『百貨の魔法』を読み終えたところです。この本も星5つあげてもいいくらいに面白い小説でした。前作の『桜風堂ものがたり』の銀河堂書店も、この星野百貨店のテナントとして登場します。

風早という街の商店街にある老舗デパートの星野百貨店が物語の舞台です。全国どこの百貨店も同じでしょうが、この星野百貨店も御多分にもれず、時代の波には抗しきれずに閉店が近いのではと噂されています。そんな星野百貨店には金色と銀色の目を持つ幻の白い猫が住んでいて、人々の願い事を叶えるという魔法のような都市伝説があります。百貨店のエントランスに桜の花びらが舞い込む季節、コンシェルジュ・カウンターに芹沢結子という謎めいた女性が就任します。さあ、そこから魔法にかけられたような店員たちの不思議な物語が動き出します。

私のなかのデパートというと函館の『棒二森屋』です。1869年(明治2年)に『金森森屋洋物店』として創業したのが始まりですから、創業150年の老舗中の老舗ということが言えると思います。郊外に大型の本州系大型スーパーが相次いで進出したことなどがあり、1980年代から急速に売り上げを落とし、ついにダイエー傘下に入ったのち、1994年に運営していた『棒二森屋』株式会社は清算・消滅しました。現在もイオン系列として名前はそのままに営業していますが、本館建物の老朽化が激しく、取り壊しを含めて議論されているようです。

・・・60年近くも前の昔々の『棒二森屋』でのお話です。
ハレの日に母に手を引かれてエントランスを通り抜ける感じは、大袈裟に言うとディズニーランドに入り込むような高揚感に溢れたものだったように思い出しています。化粧品、皮製品、高級たばこ、そして地階から立ち上ってくる食品の匂いがまじりあって、何ともゴージャスな雰囲気に溢れている空間に胸が高鳴った記憶があります。書店は勿論のこと、スポーツ用品、小鳥などのペット、楽器などなど何でも揃っていましたし、美味しいものばかりでなかなかメニューを決めきれなかったデパートの食堂、そして極めつけは屋上の遊園地でしたね。そうそう、最上階には小さいながらも映画館もありましたよ。

デパートを一歩外に出ても電車道路には行き交う人で溢れ活気に満ちていました。現在は、櫛の歯が欠けたように空き地が目立ち、シャッターを下ろすお店が増えて、人通りも途絶えている『棒二森屋』界隈ですが、賑やかだった時期を知っているだけに何とも寂しい限りです。私のなかの昭和はどんどん遠くなりつつあります。

・・・再び本の話に戻って。
この『百貨の魔法』も、本屋大賞を受賞して欲しいなと思っています。
あなたの中のキラキラするような思い出のデパートを蘇らせてくれる素敵な一冊です。
IMG_2483

『たゆたえども沈まず』 原田マハ

カテゴリ:
原田マハの『たゆたえども沈まず』。これも面白かったです。

まずもって『たゆたえども沈まず』というタイトル。小説の中でゴッホが呟く言葉なのですが、ラテン語で「Fluctuat nec mergitur」と綴るようです。パリ市民であれば誰でも知っているもので、もともとはセーヌ河の船乗りたちのお守りみたいな言葉で「どんな困難があってもたゆたいながら、沈まず負けずに踏ん張る」という意味なんだそうです。

物語は、あのフィンセント・ファン・ゴッホの弟のテオドルス・ファン・ゴッホが一人目の主人公。そしてもう一人は明治初期に単身渡仏した実在の美術商・林忠正の開成学校の後輩で、後に彼の助手となる加納重吉という架空の人物です。兄弟愛で結ばれた弟・テオドルスから見た兄・フィンセントの話を縦軸に、日本文化や美術の紹介に努め高い見識を備えた林忠正を傍から見つめる加納重吉の話を横軸に物語は進んでいきます。
印象派やポスト印象派の画家たちに影響を与えたジャポニスムの仕掛け人である林忠正ですが、良く知られているゴッホ兄弟の物語に豊かな彩りを添えています。表紙の装丁画に使われているニューヨーク市近代美術館(MOMA)の名作「星月夜」は、4人の思いが手繰り結び合って描かれたという設定で物語はドラマチックにフィナーレを迎えます。なお、この作品は、1889年にサン・レミ・ド・プロヴァンスのサン・ポール・ド・モゾル修道院の精神病院での療養中に描かれたものです。

現在、京都市でゴッホ展『巡りゆく日本の夢』が開催されていますが、あわせてご覧になると楽しいと思います。
IMG_2482

『AX アックス』 伊坂幸太郎

カテゴリ:
伊坂幸太郎の『AX アックス』も面白かったです。
主人公の「兜 (殺し屋ネーム)」は超一流の殺し屋ですが、家では妻に頭が上がりません。同業者の殺し屋からも「こんな恐妻家だと知ったら、がっかりするやつもいるだろうな」と言われるほどですし、一人息子の克巳も父の弱腰にはあきれています。まして「兜」の昼の顔は普通の文具メーカーの営業マンですから、家族は「兜」がそんな恐ろしい裏稼業をしているとは夢にも思っていません。
克巳が生まれた頃から、「兜」はこの仕事を辞めたいと考えていましたが、この仕事から抜け出すのは簡単ではなく、仕方なく続けています。

物語の中盤までは「兜」を中心に、中盤以降は不慮の死を遂げた「兜」と、歳月を経て家庭を持つようになった克巳がランダムに時間を行き来しつつ交互に語るような形で核心へと進んでいきます。そして、最後のオチが凄いです。

これ以上書きますと、この小説の面白さを奪ってしまいますので、このへんで終わりにしますが、スリリングかつユーモラス、そしてどこか優しさを感じる伊坂ワールドをお楽しみいただければと思います。
《図書館からお借りしました》
IMG_2465

『星の子』 今村夏子

カテゴリ:
芥川賞および本屋大賞にノミネートされた今村夏子の『星の子』を読んでみました。
とても平易な文章で書かれていますし、200頁ほどの小説ですから一気に読めてしまいます。

物語はの主人公は中学3年の林ちひろという普通の女の子です。ちひろが幼少時から病弱だったことから両親は怪しげな新興宗教に入会しています。両親は「金星のめぐみ」と称する特別な水を愛飲したり、教団が主催する集会や合宿に積極的に参加したりする熱心な信者です。周囲の親戚などからの勧告があったり、ちひろ自身も両親の行動に時に違和感を持つものの、あえて否定はせずに新興宗教を中心にした生活に順応していきます。

あたかも学校を中心とする「普通」の世界で過ごすより、新興宗教という「怪しげ」な世界にいる時のほうが、ちひろ個人にとっては人間らしく活き活きとしているとさえ思えてきます。ちひろは取り立てて大きな躊躇いもなく、それらのコミュニティを行き来し、物語もどちらへの肩入れをすることもなく淡々と進行していきます。

ちひろの両親のように「愛する家族のために」という麗しい言葉のもとに一蓮托生を選ぶことは正しく美しい行為なのか、はたまた「怪しげ」と「まとも」という価値観をジャッジするのは誰なのかという命題を読むものにつきつけます。

単純なストーリーですが、いろいろな読み方が出来る不思議な一冊です。
P2170004-1

『騙し絵の牙』 塩田武士

カテゴリ:
「グリコ・森永事件」をモデルにした小説『罪の声』で数々の賞を受賞した塩田武士。
それ以来になる小説『騙し絵の牙』を読んでみましたが、さすがに塩田さんの文章には唸ってしまいました。文章がとても読みやすいですし、物語の組み立ても素晴らしいと思います。

物語の舞台は大手出版社です。主人公の速水輝也はこの出版社の雑誌編集長であり、俳優の大泉洋さんのイメージをキャラクター化しています。やたらかっこいい大泉洋さん演じる主人公をイメージしつつ読み進める感じです。本書の発案当初から映像化を見据えた「完全アテガキ社会派小説」という触れ込みですので、この奇想天外な面白い企てにちょっと嵌ってしまいます。

書籍離れなど出版業界を取り巻く環境は厳しさを増していますが、速水たちが編集している雑誌も御多分にもれず廃刊の危機に晒されています。時を同じくして上司からの圧力、部下との軋轢、家庭の不和など諸々の問題が噴出してきますが、持ち前の話術とパフォーマンスで何とか乗り越えていきます。

これだけでも物語として面白いのですが、もうひとつ最終盤になってどんでん返しが待っています。「最後は大泉洋に騙される」というキャッチフレーズが本書のウリですが、これは読んでのお楽しみということで・・・。表紙写真の大泉洋さんの影が女性の顔になっているのがお気づきになりましたでしょうか。(^^♪
IMG_2463

『クリスマスを探偵と』 伊坂幸太郎

カテゴリ:
伊坂幸太郎の『クリスマスを探偵と』。クリスマスの頃に読みたかったのですが、図書館の順番の関係で今頃になってしまいました。

伊坂幸太郎の文とイラストレーターのマヌエーレ・フィオールの絵による「大人の絵本」といった感じの本です。文はとても短いですので、30分もあれば読めちゃいます。
クリスマス・イヴに父親の浮気を調査するにわか探偵のカールが主人公です。浮気の現場の家を見張る公園で出会った不思議な男とたまたま会話を交わすのですが、その会話の中から少年時代のクリスマスに纏わるいろいろな思い出が蘇ってきます。
なんとなく哀しくて、ちょっぴりメルヘンチックで、そして少しだけミステリアスな絵本です。

伊坂幸太郎が大学生の頃に初めて書いた短篇をもとにリメイクした作品のようです。
《図書館からお借りしました》
IMG_2457

『ねこ町駅前商店街日々便り』 柴田よしき

カテゴリ:
柴田よしきの『ねこ町駅前商店街日々便り』。とても面白かったです。
読んでいて心が温まるというかアットホームな感じで、こういう小説は大好きです。

舞台は某県某所を走る私鉄・柴山電鉄の赤字ローカル線の終点・根古万知(ねこまんち)。その昔には太良山炭鉱とそこに働く人々で大いに栄えていたのですが、今は駅前の賑わいは途絶えわずか8店舗ほどが細々と営業するいわゆるシャッター商店街です。
そんな商店街にたったひとつある喫茶店「風花」で働いている愛美という女性がこの物語の主人公です。愛美は地元の大学を卒業したのち東京で就職をし、そして結婚をしたものの3年足らずで別れて、故郷の根古万知へ戻ってきました。
そんな愛美は、ひょんなことから緑色の大きな目と灰色の毛が愛らしい拾い猫を飼うことになります。愛美はその猫を「ノンちゃん」と名付け可愛がるのですが、たまたま「ノンちゃん」が柴山電鉄の一日猫駅長を務めるとSNSなどで情報が拡散し駅は大ブレークすることになります。そして、愛美はその勢いをもって商店街を活性化させるために商店街の人々や仲間を巻き込んで奮闘するというストーリーです。
現在の日本が抱える都市への一局集中と衰退する地方の問題がこの小説の根幹にあるのですが、拾い猫の「ノンちゃん」を中心にいろいろな知恵を出し合って、観光客が訪れてみたいと思うような、そして住民にとっても住みやすいと思う地域活性を模索していきます。

『空には星。足下には地面。木々には甘夏の実。丘にはUFO。シャッターには絵が描いてあり、古びた写真館では芝居が上演される。商店街にはアーティストが住み、駅には猫。それが、私の故郷』と愛美が呟くところで小説はエンディングになります。

450頁を超える長編ですが、いろいろな人間模様が描かれていて面白いです。お勧めの一冊です。
IMG_2444

『逃亡刑事』 中山七里

カテゴリ:
中山七里の『逃亡刑事』。ストーリーが荒唐無稽な設定で少し漫画チックなのですが、これはこれで痛快で面白かったです。

8歳の御堂猛という少年が児童養護施設から脱走する途中、千葉県警の組織犯罪対策課の生田巡査が拳銃で殺害される場面を目撃するところから物語が始まります。同じ県警の捜査一課に勤務し、美形ながらもガタイがでかくて男まさりの武闘派なことから「千葉県警のアマゾネス」と呼ばれる高頭冴子がこの小説の主人公「逃亡刑事」です。彼女は警察組織内の軋轢から、この事件の罪を着せられることになります。濡れ衣を着せられた彼女は、目撃者として生命の危険に晒されている猛を連れて逃亡するのですが、広域暴力団の助けを借りたり、日本一カオスな街と言われる大阪A地区に潜伏したりして巧みに追跡をかわします。
最初から真犯人は分かっていますので、ミステリーという要素には乏しいのですが、この逃亡劇がスピーディなうえに奇想天外の展開で最高に面白いです。
《図書館からお借りしました》
IMG_2443_1

『きのう、きょう、あした』 つばた英子

カテゴリ:
映画『人生フルーツ』の「つばた英子」さんと「つばたしゅういち」さんの『きのう、きょう、あした』を読んでいます。
しゅういちさんが、2015年6月に庭仕事を終えて昼休みをしているうちに突然お亡くなりになって、現在は英子さんがお二人の思い出の詰まった72㎡のワンルームでお過ごしになっているようです。しゅういちさんのお食事が陰膳になったくらいで、おひとりになっても日々の営みは以前と殆ど変わらないようです。
英子さんのひと手間の加わった美味しそうなお料理とお菓子、そして四季を彩るいろいろな花々や野菜、何気ない日々の暮らしのひとこまなど読んでいて元気をいただける楽しい一冊です。
私たちもお二人のように楽しく過ごしていけたらいいなぁと思っています。

映画でのワンシーンですが・・・
しゅういちさんが旅立たれたときに、英子さんがしゅういちさんの手を握られて、「しゅういちさん、私がそちらへ行く時までお元気にしていてくださいね」と声を掛けられていたのが微笑ましいというか深く心に残っています。何とも愛らしくて素敵な女性ですね。しゅういちさんが、「僕の永遠のガールフレンド」と仰っていたのが頷けるようです。
IMG_2441_1
IMG_2449

『火定』 澤田瞳子

カテゴリ:
澤田瞳子の『火定』を読み終えましたが、星4つ半つけてもいいくらいに感動しました。伊吹さんの『彼方の友へ』も良かったですが、こちらの澤田さんの『火定』も甲乙つけ難いほどに良かったです。う~ん、お二人とも直木賞が取れなかったことが残念でなりません。

時は奈良時代の天平年間、権力者である藤原四兄弟までもが罹患して亡くなった寧楽(奈良)の都・平城京での天然痘のパンデミックが主題になっています。太平年間には、世を震撼させた疫病の他にも旱魃や飢饉、大地震などが続き、これらの大きな出来事が引き金となって聖武天皇の親政や大仏建立などがなされたことが知られています。

遣新羅使が持ち込んだとされる天然痘が徐々に都に蔓延し猛威を奮うところから物語が始まります。原因も治療法も分からないなか、市中の病院「施薬院」では医師やスタッフが次々と担ぎ込まれる膨大な感染者の治療に昼夜をおかず奮闘します。
そんな「施薬院」の外では、疫病を避けて畿内から逃げ出す者、藁にもしがみつこうと「まじない」など怪しい宗教を頼る者、はたまたこの機に乗じて金儲けに走る者など世は混乱の渦に巻き込まれてしまいます。

まさに人間の心の中にある清い部分と濁った部分が、パンデミックという極限の状態のなかで炙り出されることになります。「火定」とは、自らの身体を火の中に投げ入れて死ぬ「火定入滅(かじょうにゅうめつ)」という仏教用語から来ているのだそうです。疫病の流行に対して無力さを感じ、おのれを含めた人間の業の深さを嘆く、主人公のひとり名代(なしろ)の叫びが「火定」という響きの中に聴こえてくるようです。
1300年も前の世の物語ですが、今まさに眼前で繰り広げられているような躍動と恐怖をおぼえる小説です。ぜひ読んでいただきたいと思います。
《図書館からお借りしました》
IMG_2403

『砂上』 桜木紫乃

カテゴリ:
桜木紫乃の『砂上』を読み終えました。
何とも息苦しい題材の小説で数ページを読んで投げ出そうかと思ったのですが、そこはさすが直木賞作家の筆の力ですね。先を読まずにはいられないような展開で、結果的には最後まで読んでしまいました。

主人公は北海道・江別市に住む柊令央(ひいらぎれお)という女性です。作家になりたいという夢を抱いて新人賞に応募を続けていますが、まったく展望が開けないままに40歳を迎えています。ビストロ勤務で得る数万円の月収と、元夫からの慰謝料で細々と暮らしていますが、そんな彼女のもとに小川乙三(おとみ)という女性編集者が現れます。乙三は、以前に応募して落選していた『砂上』という小説の書き直しを提案します。この小説は令央の私生活そのものと言ってよい程に生々しい家族関係をモチーフにしたもので、まさに自分の身を削るがごとく赤裸々に書いたものだったのです。人生のどん詰まりに追いつめられたこともあり、あらためておのれの人生を直視しつつ、もがき苦しみながらもハードカバーの新刊を世に送ることになります。

読み進むうちに、令央が書く小説『砂上』と桜木さんの書く小説『砂上』が交錯しその境目が分からなくなってきます。そして終いには、虚構と現実が入り乱れて、何がフィクションで何がリアルなのかも渾然一体となって見極めがつかなくなってきます。何とも不思議な小説です。
IMG_2404

『ミ・ト・ン』 小川糸

カテゴリ:
大好きな小川糸さんの『ミ・ト・ン』。この本もいいですね。

物語の舞台は、バルト三国の一つ「ラトビア共和国」、小説の中では「ルップマイゼ共和国」となっています。その小さな国は日本と同じような多神教の国で、すべての物には神や精霊が宿ると信じられています。昔ながらの伝統と自然を守り、つつましく人々は暮らしています。そんな小国にありながら温かい家庭に生まれたマリカという女性の一生を綴った物語です。彼女のそばには美しい毛糸で編まれた手袋・ミトンがいつも沢山あります。ミトンには各々に深い意味のある幾何学文様が編み込まれ、赤ちゃんの誕生や結婚式、人生の終わりなどに送ったり送られたりする習わしがあります。

彼女の初恋の人で、のちに良き伴侶となるヤーニスもラトビア人らしい魅力的な男性です。彼は養蜂家として愛するマリカを支えるのですが、結婚後数年して旧ソ連(小説の中では「氷の国」)に連行されて消息が不明になります。

占領下の苦しい日々に耐えながらも、ヤーニスとの楽しき日々の思い出を胸に笑顔を絶やさなかったマリカの生涯、そして彼女を支えた美しい毛糸の手袋・ミトンの存在が心に残ります。ラトビアの美しい風景に思いを馳せ、お読みになってみてください。
《図書館からお借りしました》
IMG_2377
巻末には小川糸さんのトラベル・エッセイと平澤まりこさんの可愛いイラストが掲載されています。小川さんと平澤さんは本著を発刊する前に3回ラトビアを訪問されているそうです。宝石のようにキラキラと輝くラトビアの人々の暮らしと風景に魅了されたと仰っています。ぜひ行ってみたいなと思っています。
IMG_2397-2

『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ

カテゴリ:
ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読み終えました。
すでに沢山の方がお読みになっていると思いますし、これからお読みになる方もおられると思いますので、詳しい内容は帯に書かれている程度にとどめたいと思います。
 
現代の世の中では到底考えられない臓器提供を目的としたクローン人間のための施設「ヘールシャム」で育った若者たちの日常を描いた作品です。彼らは何度かの臓器提供をしたのち、身体に限界を迎えた者から使命を終えこの世を去ります。
物語は全篇に渡ってキャシーという女性の回想というかたちで進行します。キャシーは特別に訓練を受け提供者を介護する介護人として施設で働いていますが、自らも提供者という立場にあります。彼女の内省的な淡々した語り口が、若者たちの生まれながらの運命の残酷さを際立たせています。
ただ、彼女の口から語られる思い出の中のヘールシャムの若者たちは、自身の運命を知りつつも、友情を温め、性に翻弄される私たちの青春時代とそれほど変わらない普通の日常を過ごしていることに、何となく怖さを感じてしまいます。

この小説から何を感じるかは読者によって異なるような気がします。読み始めは、過剰に進みつつある生殖医療などの近未来的な科学技術の問題を提起したものか、はたまたグローバリゼーションの中での搾取する側と搾取される側の問題を扱ったものかと思っていました。でも今こうして読み終わってみますと、この物語の語り手はキャシーひとりであり、キャシーの語ったことがすべてであることに改めて気づかされます。
運命にささやかに抵抗するものの受け入れられず、折り合いをつけようと試みるも上手くいかず、仕方なしに自己を正当化して語るキャシーの姿が妙に身につまされます。何となく私たちに似ている・・・あえて究極の状態に置くことで浮かび上がる人間本来の姿、そんなことを描きたかったのかなと思ったりしています。
《図書館からお借りしました》
IMG_2380

『オブリヴィオン』 遠田潤子

カテゴリ:
遠田潤子の『オブリヴィオン』も面白かったです。
主人公の森二は妻殺しの罪で服役し、模範囚として4年の刑期を終えて刑務所を出所する場面から物語が始まります。刑務所の門で迎えるのは、実兄でヤクザ稼業で身を立てている光一と、妻の兄にあたる義兄の圭介です。しかし、当の森二は二人を無視して元の家には帰らず安アパートに入居するのですが、その隣室にはバンドネオンを演奏する混血で美しい少女の沙羅が住んでいます。この沙羅が演奏するアストル・ピアソラの「オブリヴィオン」という曲、この小説の中では全篇に通奏低音のように流れて重要な意味をなしています。
森二はなぜ妻を殺したのか、その夜に何があったのか、謎の一つ一つが明らかになるにつれ、複雑な人間関係とやるせないほどの現実が少しずつ浮き彫りになってきます。
「オブリヴィオン」には忘却とか恩赦という意味がありますが、物語は人生を間違えてしまった人たちが、勇気を出して新しい一歩を踏み出す姿を描いているのかなと思います。

このピアソラの「オブリヴィオン」という曲は私も好きでよく聴いているのですが、ピアソラ独自のリズムで、4拍子の中で「一拍半・一拍半・一拍」という独自のパターンが多用されているのが特徴です。もともとイタリアの映画音楽として作曲されましたが、映画も音楽もあまりパッとしなかったようです。その後、「カンツォーネの女王」として名高いミルバが歌って評判になり広く知られるようになったそうです。ミルバと言えば「ウナ・セラ・ディ東京」が懐かしいですね。
《図書館からお借りしました》
IMG_2366

『彼方の友へ』 伊吹有喜

カテゴリ:
実業之日本社 創業120周年記念作品として発刊された伊吹有喜の『彼方の友へ』を読みましたが、すごく面白かったです。

明治41(1908)年の創刊から昭和30(1955)年まで、激動の時代をくぐり抜けて刊行されていた少女雑誌『少女の友』がモデルとなってこの小説が生まれたのだそうです。
舞台は昭和12年の東京。主人公の佐倉波津子(ハツ)は16歳。芸術に心を寄せる少女ですが、経済的なことから進学をあきらめ、西洋音楽を教える私塾で女中として働いています。しかし、戦争の色が濃くなったこともあり私塾をたたむことになり、ハツは自分の身の振り方に悩みます。そんな折に親戚から憧れの少女雑誌『乙女の友』の編集部の雑用係をしないかという話が舞い込みます。ハツは主筆の有賀憲一郎、看板作家の長谷川純司など個性あふれる人々に囲まれ、迷い悩み苦しみながらも自らの才能を開花させていきます。

それから幾年月が経ち、卒寿を迎えて老人施設のベッドの上で微睡むハツ。そんな彼女のもとに「フローラ・ゲーム」と書かれた美しい小さな箱が届けられます。
昭和12年、昭和15年、昭和18年、そして昭和20年と激動の過去と現代を行き来しつつ物語は進んでいきます。若かり日の淡い恋慕の情や奮闘した日々のことに思いを馳せ、「彼方の友へ」とつぶやくハツの心情が胸に迫ってきます。

おすすめの一冊です。そして今期の「直木賞」をぜひ受賞して欲しい小説と思っています。
《図書館からお借りしました》
IMG_2375

『銀河鉄道の父』 門井慶喜

カテゴリ:
門井慶喜の『銀河鉄道の父』を読み終えました。
あの宮沢賢治の父・政次郎から見た賢治像を描いたという側面もありますが、むしろ政次郎のことを書いた本という感じがします。賢治の家は、花巻で質屋と古着屋を営む地元でも有数の商家であり、裕福な家庭で幼少から青年期までを過ごした息子とそれを支える父親の姿が描かれています。賢治の童話などが生まれた背景や過程を知ることが出来ますし、封建的な父親像といわゆる過保護で親バカという両面で揺れる政次郎の心の動きが読みどころです。
《図書館からお借りしました》
IMG_2357

『ワルツを踊ろう』 中山七里

カテゴリ:
中山七里の『ワルツを踊ろう』を読み終えました。
『ワルツ~』という題名と表紙の装丁に惹かれて読み始めたのですが、これほど想像していた内容と違う本に出合うのも稀かなと思っています。
舞台は東京のはずれの7世帯9人が住む山奥の限界集落。そこに外資系金融機関をリストラされた39歳の独身男性が住むことになります。もともと実家がこの集落にあり、両親が亡くなって空き家になったことと自分の貯えが寂しくなってきたことがUターンするきっかけになります。
村落に溶け込もうといろいろと努力しますが、ことごとく裏目に出てしまいます。ワルツを大音量で流して和ませようと試みたり、カラオケ大会を開いてみたり、はたまた有機野菜をネット販売してみたりと・・・。そんな努力もむなしく逆に村人から反感を買うようになり、窓ガラスを割られたり、糞尿を撒かれたり、愛犬を殺害されたりと酷い仕打ちを受けるようになります。
そんな村人の中に一人だけ彼を理解し心から優しくしてくれる住民がいます。

このあとは本を読んでみてください。中盤まではちょっと笑えるほどに滑稽に描かれていますが、中盤以降は一転して凄惨で想像を絶するような怖さが待っています。そして最後のどんでん返しもダブルで怖いです。
PC200015

『ミステリー・クロック』 貴志祐介

カテゴリ:
貴志祐介の『ミステリー・クロック』を読み終えました。
「ゆるやかな自殺」「鏡の国の殺人」「ミステリー・クロック」「コロッサスの鉤爪」という物語の舞台も内容も異なる4つの短編、中編が収載されています。
「ゆるやかな自殺」は逃げ場のない暴力団事務所での自殺に見せかけた事件、「鏡の国の殺人」は完璧な防犯システムに守られた私設美術館で起きた事件、「ミステリー・クロック」は時計に囲まれた山荘での晩餐会の最中に起きた事件、「コロッサスの鉤爪」は周囲には島ひとつない小笠原の大海原で起きたボート転覆事件、いずれも密室や限られた空間の中で起きた殺人事件の謎解きが主題となっています。
場所や内容が異なると前述しましたが、共通するのは防犯コンサルタントという怪しい仕事をしている榎本径という男と、まったく頼りにならない青砥純子という弁護士が登場して難事件を解決していきます。とても実行することは不可能と思われるようなトリックが超満載で、榎本径が理路整然と謎解きをしていっても私の頭では何が何だか理解不能な状態で読んでいました。
私には少しトリックがしつこいように思いましたが、この手のミステリーがお好きな方にはおすすめかもしれません。
PC200014

『マスカレード・ナイト』 東野圭吾

カテゴリ:
東野圭吾の『マスカレード・ナイト』。テレビから流れる大晦日恒例の東急ジルベスター・コンサートのカウントダウンが始まる直前に読み終えました。偶然にもこの小説の物語設定の日時と合致するように読み進めた感じです。『マスカレード・ホテル』、『マスカレード・イブ』に続くシリーズ第三段にあたるものです。

ある事件の犯人が、ホテル・コルテシア東京での大晦日のカウントダウン・パーティーに現れるとの予告が警察に入ります。このパーティーには仮面(マスカレード)をつけての仮装パーティというおまけがついています。ホテルという匿名性の守れる不特定多数の集まる場所、しかも顔の認識が出来ないマスカレード・パーティーという特殊な設定、このような物語の仕掛けは東野圭吾でなければ出来ないような気がします。
いくつにも散りばめられたサイドストーリーがあって、最後まで事件の核心がどこにあるのかハラハラドキドキの連続でした。それにもまして、ホテルマンに扮して潜入捜査をする刑事の新田の活躍、そしてこれぞ一流ホテルのコンシェルジュと思わせる山岸尚美の仕事っぷりももうひとつの読みどころです。

賑やかなNHKの紅白歌合戦をちらちら、それに続くジルベスター・コンサートのカウントダウン、まさに小説のマスカレード・パーティーの真っただ中にいるような雰囲気で読み進めることが出来ました。大晦日に読めたのも良かったですし、面白かったです。
PC200011

『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎

カテゴリ:
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の書籍版を読んでみました。
1899(明治32)年に生まれ、1981(昭和56)年に82歳で没した著者ですが、現代でもまったく色褪せない素晴らしい本を書いたものと驚嘆しています。そもそも1937(昭和12)年7月に発行された「日本少国民文庫」全16巻シリーズの最終巻として刊行されたもので、子供たちに向けた哲学書であり道徳の書なのだそうです。
主人公はコペル君。いろいろな出来事や悩み事について叔父さんと対談しつつ、人間としてどう生きればいいのかという深い命題に向き合いながらお話が進んでいきます。

『僕は、すべての人がお互いによい友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと思っています。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。』

・・・コペル君は最後にこのような考えに行きつきます。

書籍版は大人でも楽しめますし、漫画版は多くの子供に読んで欲しいと思っています。
PC200001

『この世の春 ㊦』 宮部みゆき

カテゴリ:
藩民から今望さまと呼ばれるほどに愛されていた大殿・成興(藩主・重興の父)が、善悪の見極めに長けた馬に嫌われるという不吉な兆候を告げたところで終わった『この世の春』の上巻。それに続く下巻も上巻に勝るとも劣らない複雑な筋立てと息をもつかせぬ展開で、物語にのめり込んでしまいました。

詳しいネタバレを書きますとあとで読まれる方の迷惑になりますので控えますが、私たち人間の心の奥底に横たわる暗闇の部分を書かせたら、宮部みゆきさんの右に出る方はおられないような気がします。そして、同時に人間の心の優しさ愛の深さの描写も見事ですね。まさに最後は「この世の春」です。
強さも弱さも、賢さも愚かさも持っている人間が生み出す物語だからこそ、素晴らしかったり恐ろしかったりするのでしょう。
上下巻とも少しボリュームがありますが、おすすめの一冊です。PC200017

『この世の春 ㊤』 宮部みゆき

カテゴリ:
作家生活30周年の記念作品となる宮部みゆきの『この世の春』、上巻を読み終えました。
舞台は江戸時代、北関東のどこかの小藩「北見」。藩主の北見重興(しげおき)が、ある騒動の結果、主君押込にあって若くして隠居させられることから物語が始まります。
重興は自身の中に多重の人格を抱える解離性同一性障害を患っているという設定です。現代のように病態が明らかになっていない時代のお話ですから、怪しげな呪術や藩政に遺恨を持つ陰の勢力の力が見え隠れして、物語は佳境に向かっていきます。サイコホラーの恐怖、ミステリーの謎が満載で凄いです。
今、下巻を読み始めたところです。下巻も読み終えましたら、また感想を書かせていただきます。
PC200002_2

『さらさら流る』 柚木麻子

カテゴリ:
柚木麻子の『さらさら流る』を読み終えました。
アットホームな家族に囲まれ、平凡ながらも毎日を穏やかに幸せに過ごしている主人公の井出菫。ある日突然、たまたま自分の裸の写真がネット上に公開されているのを見付けてしまいます。6年前までつきあっていたかつて恋人に懇願されて撮影を許したことを思い出しまが、すぐ消させたはずなのになぜか多くの人の好奇の目に晒されることになっていました。あらゆる負の渦に飲み込れ心に深い傷をおいながらも、家族や親友の助けを借りながら少しずつ真相を明らかにし立ち直っていきます。
彼との最初の出会いは、大学の飲み会で酔い醒ましを兼ねて渋谷から自宅まで暗渠を辿りながら帰ったことですが、この暗渠に纏わる思い出が通奏低音のように全篇に流れています。まさに「さらさら流る」のように。人間は暗渠のように暗いところを流れている時もあるが、必ず日の当たる拓けたところに行きつくということを意味しているのでしょうか。
穏やかな幸せと崩壊そして再生を描いた作品です。現在と過去を行ったり来たりし、彼女と元恋人の視点両方を描きながら物語は進みます。二人の微妙な心の動きの描写が素晴らしく、このへんが柚木さんの文章力の確かなところなのかなと思います。
IMG_2256

『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ

カテゴリ:
今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読んでみました。
長崎生まれの日系英国人ということで、いずれの小説ももとは英語で書かれています。本書も日本語訳ですので英語版で読んだら細かいニュアンスが違うかなと思うのですが、私には読む力がありませんので、ちょっと残念に思っていました。
舞台は6、7世紀のブリテン島で、いきなり語り手が鬼の話をはじめるファンタジックなゲーム画面を思わせる舞台設定で物語が始まります。当時のアーサー王がサクソン人を虐殺してブリテン島を統一したことに起因するブリトン人とサクソン人との対立という背景が絡んでいます。主人公は、記憶をほとんど亡くした老騎士のアクセルと彼の妻のベアトリスという老夫婦です。ある日、息子のいる村を訪ねて旅に出るのですが、その道中で戦士や少年と出会い、竜退治へと向かう展開になっています。というのも、この雌竜が吐き出す魔法の息が、老夫婦はもとより村人みなの大切な歴史の記憶を奪っているからなのです。しかし、この魔法の息による忘却によって、ブリトン人とサクソン人の憎しみが忘れ去られ、束の間の平和がもたらされていたことも事実でした。竜の死は、争いの再燃を意味していることにもなります。

イシグロ氏は、平和な時代を迎えるのだと信じていた1989年のベルリンの壁崩壊後に発生したユーゴでの戦争勃発に大変なショックを受けたと仰っています。ボスニアやコソボでは、異なる民族同士の結婚さえある程度進み、互いに近所づきあいをしたりと平和に暮らしていたといいます。でも、その平和は本物でなく、あくまでもチトー政権によって力によって抑え込まれていたにすぎなかったのだそうです。そう、小説の中の雌竜から息を吹きかけられた状態のようにです。
イシグロ氏は、嘘の平和とは何か、真の平和とは何かという難しい問題を提起しているのでしょう。このところ俄かにキナ臭くなってきたイスラエルとパレスチナの問題しかり、スペインやスコットランドの自治政府独立の問題しかり、その根は深いところにあるようです。
ファンタジックな小説ですが、そんな深い意味を込めた一冊と思います。
IMG_2254

『月の満ち欠け』 佐藤正午

カテゴリ:
今年の第157回直木賞を受賞した佐藤正午の『月の満ち欠け』を読み終えました。
月が満ちて欠けるように、生と死を繰り返す「生まれ変わり」をテーマにした作品です。前世を記憶する瑠璃と名付けられた女の子の話で、前世でそれぞれが関わった3人の男性への恋心から何度も生まれ変わります。輪廻転生というとても不思議なお話なのですが、妙に説得力のある内容で、背筋がぞっとするような不気味さとミステリー的な面白さをも兼ね備えている小説です。感動的なラストシーンへの落としどころの上手さはさすがに熟練した直木賞作家の文章力に拠るものと思いました。
IMG_2251

『ホワイト・ラビット』 伊坂幸太郎

カテゴリ:
伊坂幸太郎の『ホワイト・ラビット』を読み終えました。
時間や場面が複雑に行き来して、思わず前に遡って二度見しちゃうような込み入った構成になっていますが、最後は複雑なピースが絶妙に結び合わさって物語の全体像が見渡せる、トリック満載のエンタメ小説です。
仙台を舞台にした一夜の籠城劇。誘拐というあり得ない生業を筆頭に、奇妙な人質立て篭もり事件、星座のオリオン座やさそり座といった天文学の蘊蓄(うんちく)、そしてヴィクトル・ユーゴーのあの有名な「レ・ミゼラブル」に纏わるお話、妻子を亡くして生きる目的を失っている警官の登場などなど・・・もう頭が混乱しそうですが、こんなゴチャゴチャ感とちょっとお洒落な文章が伊坂幸太郎ミステリーの醍醐味なのかもしれません。物語の進行の手助けする「狂言回し」の技法も盛り込んでおり、伊坂幸太郎が自在に操る人形劇を見ているような不思議な感覚の小説です。
PB230004

『盤上の向日葵』 柚木裕子

カテゴリ:
柚木裕子の『盤上の向日葵』。600頁に近い長編ですが、面白くて一気に読み終えました。
舞台は平成6年、将棋のタイトル戦が行われている山形県天童市の会場に刑事が訪れるところから物語は始まります。刑事は山中で発見された600万円もの価値がある将棋の駒と一緒に埋められていた白骨死体の謎を追い、その捜査の進捗と同時並行的に昭和40年代に遡る将棋好きの少年の物語とが交互に語られる形で進んでいきます。読者は終盤にこの天才少年の宿命を知ることになるのですが、これは読んでのお楽しみということで・・・。どこか松本清張の『砂の器』を思い起こさせる感じです。
それにしましても柚木さんの盤上の真剣勝負の一手一手の描写がリアルで凄いです。藤井聡太四段の快進撃で盛り上がっている将棋界ですし、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
私の予想では、この本も「本屋大賞」の候補10冊のなかにノミネートされると思っていますが、どうでしょうね。
PB230006

『鳳凰の船』 浮穴みみ

カテゴリ:
幕末から明治初期の函館(箱館)を舞台にした小説『鳳凰の船』を読み終えました。
平成30年の北海道命名150年に向けて書かれた作品のようで、函館や七飯の歴史に名を刻んだ人々の激動の人生を描いた5つのお話で構成されています。小説とはいえ、実在の人物が殆どですから、当時の函館や七飯で暮らしていた人々の新しい時代に対する情熱や息遣いが感じられて、なかなか読み応えがあります。

はじめの「鳳凰の船」は、優れた洋式帆船を次々と作った船大工の続豊治が主人公です。豊治はスクーネル型と呼ばれる「箱館丸」を安政4年7月に竣工しており、この船は日本人の手による最初の洋式帆船と言われています。この豊治のもとに伊豆で同じように洋船を作っていた上田寅吉が突然訪ねてくるところから物語が始まります。寅吉はあの榎本武揚とともに箱館を訪れていたのですが、二人の遣り取りのなかに時代に翻弄されながらも未来への情熱に燃える稀代の船大工の姿が描かれていて感動的です。
この「箱館丸」の復元船は函館港西埠頭に展示されています。

2作目の「川の残映」は、日本で地震学の基礎を作ったと言われるイギリス人のジョン・ミルンと結婚してイギリスに渡った願乗寺の娘・堀川トネのお話です。彼女のエドウィン・ダンの妻・鶴に対する微妙な女心の揺れ動きの描写が時代の背景も絡んで面白いです。
また、トネの父親・堀川乗経は願乗寺の住職でしたが、生活用水に乏しい町であった函館(箱館)に願乗寺川と呼ばれた水路を開削し、町の発展に大いに尽力した功労者として知られています。

次の「野火」は、北海道初代長官の岩村通俊が主人公です。かつて七重村開墾条約を結び開墾に尽くしたプロシア人のガルトネルとの遣り取りが読みどころです。ガルトネルと七飯(七重)の結びつきは強く、300万坪もの土地を所有して西洋農法を実践していたと言います。私の家の近くには農園の名残のガルトネル・ブナ林の一部が今でも残っています。

4作目の「函館札」は、函館築島ガラス邸と呼ばれた英国人ブラキストンの邸宅に女中として仕えた16歳のれんが主人公です。ブラキストンは、津軽海峡を境にして動物学的な分布境界線があることを指摘し、この境界線がのちにブラキストン・ラインとして知られたことはご存知の通りです。

最後の「彷徨える砦」は、苦学をして立身出世し函館港湾改良工事監督になった廣井勇とかつて恋仲だった志津とその夫のフランス人ピエールとの関わりを描いたお話です。廣井が改良工事を行ったのは弁天台場であり、この台場は五稜郭を作った武田斐三郎(あやさぶろう)によるものと言われています。面積は3800平方メートル、石垣の高さは8.48メートルもある当時としては稀にみる最新鋭の洋式砲台だったようです。台場自体がとても頑強に作られていたため、廣井による改良工事は難航を極めたことが知られています。台場の石の一部は現在の函館漁港石積み防波堤(函館市入舟町)の一部に使われています。

来年の春にでも、5つのお話に関連することを詳しく紹介したいと思っています。
PB230002

このページのトップヘ

見出し画像
×