映画『津軽のカマリ』
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『スケッチ オブ ミャーク』も良い映画でしたが、『津軽のカマリ』も見ごたえ聴きごたえのある素晴らしい映画でした。
初代・高橋竹山は、20数年前のことと思いますが、亡くなる数年前の舞台(はこだて音楽鑑賞協会主催)で聴いたことがあります。映画の中でも「目の不自由な人が紡ぎ出す独特の音色」と表現していましたが、本当に忘れられない思い出として残っています。
私が子供のころには、函館でも「門付け」といって人家や商店の玄関先に立って音曲を披露し金品をいただくことを生業にしていた人たちがいました。今ですと大道芸人という立派な仕事でしょうが、その頃は「坊様(ボサマ)」と呼んだり、子供たちは「ほいど(物乞い)」などと罵ったりして、長く蔑まれていた人たちでした。そのような過酷で悲惨な生活を送る人たちの中に、初代・高橋竹山もいたようです。
ちなみに「カマリ」とは、津軽弁で匂いなどを表す言葉だそうです。
配給元の映画紹介をそのまま掲載させていただきます。
津軽三味線の巨星、故初代 高橋竹山。明治に生まれ、幼少期に煩った麻疹が元でおおよその視力を失う。北東北の過酷な環境の中、庶民の暮らしは貧しく、福祉もまだ整わない時代、唯生きていく為に三味線を習い、門付けをしながら乞食同然に彷徨った。生前、竹山は「津軽の匂いがわきでるような音をだしたい」と語っている。彼を産み、視力を奪い、蔑み、また命の綱となった三味線を授けた恨めしくも愛おしいこの土地に初代竹山は終生拠点を置き、津軽の音を探し続けた。映画は、残された映像や音声、生身の竹山を知る人々の言葉を拾いながら、彼の人生や心模様を呼び覚ましていく。そして、この地に今も残る風習や文化、人々の暮らしにレンズを向け、竹山の音に潜むであろう津軽の原風景を浮き彫りにしていく。
監督は『スケッチ・オブ・ミャーク』の大西功一。沖縄宮古諸島の老人達が記憶する古代の唄とかつての島の暮らしに焦点を当てたその前作は、2012年に公開され、3万人もの観客を動員した。人々の暮らしと音楽を辿る旅は今作、北国に向かって大きく舵を切る。そのきっかけは19年前、鈍行列車に揺られ東北各地を巡る中、北上し行き着いた津軽半島北西部の日本海岸にある十三湖。その強い悲しみを湛えた情景が忘れられずにいた。その後に出会う竹山の子孫や弟子達との縁から、本映画の構想を得る。そして、2015年の春より約2年の撮影期間と約一年の編集期間を経て、前作を凌ぐ新たな作品を紡ぎあげた。